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3/28伊豆沼春の朝-修験の身分-

朝 202-2gs
3/28伊豆沼霧の朝
写真は昨日28日の伊豆沼の朝です。気温3℃。冷えて靄が立ちました。日中は20℃近くまで気温が上がり今までの分を取り返すかのような暖かい陽気がここ2日続きました。
家の前のウメが今朝咲いていなかったのに夕方には2分咲きぐらいになっていました。昨日の朝の伊豆沼の写真を見ながら今日の話をします。


さて今日は志津川へ行ってきました。
南三陸の志津川の町を浜沿いに行くと荒戸浜,袖浜と続きます。

今日はかねてより行きたいと思っていた荒戸浜の「荒澤神社」に行ってきました。
どうしてここなのかと言えば,荒澤神社は明治維新の廃仏毀釈で和光院という寺から現在の荒澤神社に変わった寺なのです。羽黒派の修験の寺でした。ですから不動明王を本尊にしています。奥に行きますと小さな滝が続いていました。


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伊豆沼霧の朝

太郎杉という800年の樹齢のご神木を過ぎ,私が滝の方へ下る坂を行きますと,カモシカが2頭水を飲みに来ていたのでしょう。驚いて斜面を駆け上がっていきました。

この荒澤神社(和光院)は修験の寺で,ある逸話が残っています。それが興味深い話で,機会があったら神主さんに聞いてみたいと思っていたのでした。ここからその話の引用です。
和光院は滝不動として知られ,県指定の平泉経一巻を蔵する。
政宗が慶長14(1609)年,仙台大橋の用材にこの寺の杉25本を伐り送った。
その代償として850文(八石五斗四升)を賜り,代々御黒印,御朱印を与えられていた。御朱印を受けるために代替わり毎に登城していた。

和光院はこの寄付地以外には百姓地を持たず人別帳には載っているが百姓とは思っていなかった。人足,御郡役,高がかりの手伝い,御貸上等も命ぜられることはなかった。

しかしある年(享保以降不明)5月上御手伝として一貫(一石)に一歩の割合で肝入長三郎方で割り当て,小肝入太兵衛方より組頭を以て申し来った。御寄進地でもすべて申しつけるというのなら出すが,他の地方と異なる割り当て方と聞いたので一応問い合わせた。

春の朝gs

しかし何の返事もなく翌年一月登米郡黒沼(佐沼)代官所より至急出頭せよと肝入を通して言ってきた。

「百姓前を以て尋ねる故,袈裟を脱げ。御貸上延引の段(引き延ばしている理由)を述べよ。」と言う。

「百姓とは心得ていません。」
「いいや少しでも耕作しているのであれば百姓だ。百姓の身分として扱うのであるからとにかく袈裟を脱げ。」
「この衣鉢は本寺より許されて着用しているものです」

衣を脱がぬとどうなるか分からない様子だったので,袈裟を脱ぎ,御朱印賜る来歴を述べた。
この後が不明なのです。どういう結果になったのか,記録がないのです。
そこで神主をしている後裔の方がご存じかもしれないと行ってみたわけです。
しかし何も知らないと言われました。

がっかりして神社に戻り境内に置いた車に戻ろうとしたときでした。
滝の方から男の人の歌が聞こえました。お経のような声明のような声でした。ああ誰かいるなと滝の方を覗いたのですが誰もいません。近づくと声も止みました。不思議なことでした。

この話から修験という身分は百姓扱いの身分であったことが分かります。加持祈祷などをしながら生活費に充てたり,また神楽を舞って寄付を受けたりしながら土地の隅に野菜をつくり細々と生活を立てていたことでしょう。護符なども勝手に配ったりすることは特に他地域ではできなかったのです。それでも和光院は直院になっています。それなりの本山からの保証もあったのだと思われます。しかし収入の割合に応じて末寺の者は本寺に権利料を払っていました。
例えば講中の者が出羽三山にお参りをする場合,和光院がお世話をしたり,関所手形の手配をしたりしました。またお伊勢参りや熊野参りをする場合にも宿や通行の手配などもしてあげたことでしょう。このあたりの記録は熊野大社の記録などを辿っていくとおもしろいと思われます。


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宮沢賢治-よだかの星-

春の天の川
春の天の川 2012.3.28撮影

よだかのの映画が発売されたそうです。

よだかのほし [DVD]よだかのほし [DVD]
(2013/10/16)
菊池亜希子、眞島秀和 他

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よだかは渡り歩きます。

弟のカワセミ
太陽
オリオン座
南の大犬座
北のおおぐま座
わしのアルタイル


そして青白く輝くになります。
その場所は横にカシオピア座
天の川の青じろいひかりが、 すぐうしろになってゐました。


になったよだかはどのになったのか
ティコの
になったよだかは,転生の物語でもある
いじめられたよだかの新しい生き方の模索
マッチ売りの少女のラストと似ている

本当にいろいろな読み方ができます。

 それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つく いきはふいごのやうです。寒さや霜がまるで剣のやうによだかを刺 しました。よだかははねがすっかりしびれてしまひました。そして なみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。さうです。こ れがよだかの最后でした。もうよだかは落ちてゐるのか、のぼって ゐるのか、さかさになってゐるのか、上を向いてゐるのかも、わか りませんでした。たゞこゝろもちはやすらかに、その血のついた大 きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらっ て居りました。

 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。 そして自分のからだがいま燐の火のやうな青い美しい光になって、 しづかに燃えてゐるのを見ました。
今度晴れたらよだかの星を探してみたいものです。人はあると思うものを探し続ける生き物ですから・・・。


実はこの話をポーの「ハンス・プファールの無類の冒険」と結びつけて垂直の思考として書くつもりでしたが時間切れです。後で時間ができたときに書きます。


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