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三千人の栗駒山越え-戊辰戦争秋田藩攻防-

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ハスの花びらの夕方

三千人が栗駒山越えをしたという話がある。
それも夜歩いて。
慶応四年九月二十一日のことである。新暦では十一月七日という雪が降り始める直前である。

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ネムの花咲く

戊辰戦争における会津藩の一ヶ月の攻防は9/22発砲の音がやみ,静かな朝を迎えた。この一ヶ月の戦いの中に白虎隊の悲劇もあった。
会津藩は,白旗を立てて薩長軍の軍監,軍曹らを迎え入れたのでした。

この戦いの最中,秋田でも攻防は続いていた。
7/3秋田藩と新庄藩は,仙台藩の護衛も付けなかった使者7名を斬殺し,奥羽越藩同盟を離脱した。その新庄藩,秋田藩に討伐の命が下されていた。
7/5仙台藩は庄内藩の要請で応援部隊を秋田に送り込んだ。
7/14新庄城は落ちた。
8/11横手城が落ちた。そして一ヶ月かけ横手,大曲,角館へと進軍していった。
そして仙台藩降伏の知らせにより,9/18から一気に撤退が始まった。
もう猶予はなかった。秋田藩の反撃と湯沢で民兵や領民の反撃が強くなっていた。
仙台藩吉岡領の但木左近などは鬼首口から撤退を予定していたが退路を断たれ,急遽小安口(現在の小安温泉)からの撤退になった。一刻も早く帰藩するため仙台軍の総勢三千人が小安温泉から栗駒山を越えて仙台領に入ったのです。

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ネジバナの咲く

多分,三千人皆食うや食わずで夜も歩き続けたのです。
死にたくない者はとにかく歩き続け,栗駒沼倉の木鉢番所に辿り着いていったのでしょう。その必死に帰る三千人の頭上には月齢20の月が八時過ぎに東の空から昇ってきていました。兵隊達は「あの月の方向に歩けば,帰れるぞ」と声をかけられたと思います。しんしんと11月の夜は冷え切っていたでしょう。

多分,引き上げルートは小安-大湯-田代沼(三本杉 ここが秋田仙台藩の境界)-三本ブナ-大樹お助け小屋(大地沢)-秣小屋(世界谷地)-前沢お助け小屋(耕英万坊原)-冷沢越え-木立陣屋敷となると思われます。

その月が出た慶応四年十一月七日の夜の星図です。

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慶応四年十一月七日の星空

ひた走りに走った夜の栗駒越えの三千人は将卒入り乱れての,まるで追撃を振り切るほどのスピードだったと予想できます。


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コマクサの咲く秋田駒ヶ岳

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霞む道

昨日は土用の丑の日うなぎ食べましたか。
うなぎでなくても「う」のつくものだったらなんでもいいという話もテレビではしていました。ほんとかなあ。
だったら,うしか,うにか,うずらの卵か,と騒ぎました。うめぼしは?と出ると,うなぎとうめぼしって食べ合わせが悪いらしいよとなりました。すいかと天ぷらもだ。

今日の写真は,残念ながら今年の写真ではありませんが,ちょうど今頃だなと思われる秋田駒ヶ岳のコマクサ達です。
行ってみたいと思うばかりでなかなか・・・。

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コマクサが広がる

そういえば今年のあのヒマワリ畑はどうなっているのだろうと写真の整理をしていて思いました。

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かわいいコマクサ

砂礫地に咲くこのピンクのかわいい色は,この無彩色の味気ない世界に突然の贈り物をくれたような幸せを感じさせます。



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