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伊豆沼。その楽園の条件

平成19年1月21日(日) 171-2s
栗駒山に舞う

今日は,過去画像からの写真です。

野生の生き物が大量に人間の領域に入ってくることはそんなに多くあることではありません。
それも十万単位の野生動物です。
椋鳩十の「大造じいさんとがん」は,九州の猟師から聞いたという前置きで物語は始まります。
現在は九州どころか昔は東京でも記録されたマガンは東北地方のごくわずかな地域でしか越冬できなくなっています。
その越冬するマガンの80%弱が伊豆沼周辺に集まるとされています。

豊富な餌があり,その餌を冬期間,雪や氷に閉ざされることなく採餌することができる。沼や湿原を中心とした平坦な生まれ育った環境と似ている場所。不思議と越冬地や中継地の地形や景観が似ているのは彼らが遺伝的に,伝統的にそのような環境構成が脳の中にインプットされているからでしょう。マガンの中継地である北海道の宮島沼や秋田県能代市の小友沼を地図から見ればそのことが知れると思います。

こうして考えると,何よりも楽園の条件の最も第一は,その景観にあるということになります。世代を超えて種全体に深く刻み込まれた安寧の場所。それが渡り鳥の渡りを支えます。深く刻まれた景色の場所に戻ることが彼らの生きることを支え続けます。

伊豆沼が彼らにとって永遠の命を守る場所であることは確かです。まさに選ばれた楽園なのです。


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受け止めるということ

土曜のさんぽ道 010s
月齢25の月の西に木 9/20

戌年生まれの私がその守護神である飼い犬リュウを失ったことは相当な深手を負ったという気持ちになります。
見るものすべてにリュウと呼びたくなり,その姿を探してしまいます。

この休みは体調を崩し,とうとう寝込んでしまいました。
21日には賢治祭があったのですが,とても花巻まで行く体力もなく,伊豆沼のクリーンキャンペーンにも出かけられず,お墓参りもしていません。
でもたくさんの慰めのことばを皆さんからいただき,本当に嬉しく思います。皆さんありがとうございました。


思えば宮沢賢治も妹のトシが亡くなったときにはその喪失感で,詩も半年も書けなかったのですから・・・。
そしてまた至る所にトシの面影を探したりしています。死んだトシとどうして会えないのか,また姿が見えないとしても交信ぐらいはできないのかというフレーズから,
 ……あゝ いとしくおもふものが
    そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
    なんといふいゝことだらう……
という「薤露青」の全肯定フレーズに落ち着くまでに一体どんな変化が賢治の中でおきたのだろうか。
妹トシが亡くなったのが1922年11月27日。「薤露青」の日付は1924年7月17日。トシの死から1年8か月で,「なんといふいいことだろう」とそれまでとは全く反対のことを口に出せたのはなぜだろうか。

この期間は賢治が次から次へと創作する期間でもある。自然万物の中に亡き妹を見いだそうとする試みが絶えず繰り返される期間でもある。

妹の死が賢治の中で落ち着いたからこそ「いいことだろう」と客観的に書けたのだと思います。
亡き妹をこれ以上追いかけることはできないという心持ちになったからでしょう。そしてその事が確信されたときに賢治自身の生きていく道が見え始めたのでした。
賢治は長い時間をかけてやがて妹の死を受け止めることができました。
私も今回のことをちゃんと受け止められたらいいなあ。


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