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新・逃走論その一-貨幣としての米-

伊豆沼土曜 114s
日の出

今日は,「今朝の伊豆沼」の写真に乗せてちょっと書いてみます。

歴史学者の網野善彦の本といったら,なんか読みたくなります。
特に彼の「百姓」という概念のとらえ直しは大切なんだよなあと思い知らされます。百姓というと「米をつくる人」と誰もが考えてしまう,その考え方に「待った」を掛けて,口をすっぱくして言います。職業別人口比率からすると農業80%,工業4%,商業7%,雑業9%,雇い人2%(古島敏雄『産業史』明治初年から五年)となっています。
本当にこんなに農家が多かったのでしょうか。私たちも子どもの頃からそう教えられてきました。しかし網野氏はこの農家は果樹,蚕業,絹,大豆,堅果等も農業に入れている事実があり,みな米に換算していることから本当の百姓の多岐にわたる生産活動が見えてこないと言うわけです。

確かにそう言われればそうだと思います。

伊豆沼土曜 549s
ハクチョウ舞い降りる

日本が律令制を採用してから,三世一身の法,百万町歩開墾と米への偏重が始まりました。それ以後,土地と米と税が一体化していきます。どのように税を取り立てていくかという政策に終始します。農本主義の国家の流れは止まりません。米そのものが資本となり,貨幣と化していました。しかし作られていたのは米だけではありませんでした。様々な作物が年貢として米に換算される体系が出来上がります。まるでマルクスの『資本論』の冒頭のような交換価値の基準が成立していきます。そして人は土地に縛り付けられていきます。

私は以前栗駒山関係で宮城県気仙沼の商人の米の買い付けのための『秋田日記』を紹介しました。
この本は天保八年(1837)仙台藩の気仙沼に住む熊谷新右衛門という男が,餓死者を救済するために米の買い付けをしに栗駒山を越えて秋田の矢島藩へ行くという日記です。この天保八年という年だけで,宮城県気仙沼の町民4000人のうち疫病が起きて1300人も死んでいます。郡下でも4000人がなくなっているのです。単純に考えてもなぜヤマセによる凶作続きの中で農民は命を守るために移動しなかったのかと思います。実際,飢饉続きの世で,村からの逃散や一揆が立て続けに起こります。

秋田日記 010s
秋田日記

そして,少なからず山に逃げ込んだ人たちが「山人」「サンカ」になったとも言われます。この逃走論と銘打った話はそんな米一本の世の中で流浪の民と言われた人たちにスポットを当てることはできないかという壮大で気まぐれな話です。

この話は独特な文化を持つ宮城県北と岩手南部の修験者の活躍した地域と米蔵としての東北地方からかすれて見えなくなった部分を逃走というテーマで描き出そうと考えています。しかしまた思いつきで続けますのでご了承下さい。

伊豆沼土曜 092-2s
草むらから

今日の本
米百姓天皇
サンカの民と被差別の世界
この連載のキーワードは,「米」「百姓」「サンカ」「山人」「山伏」「一揆」等を扱います。


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