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あの景色が今は-大岡昇平「焚火」-

鳴子 074-2gs
あの夏の景色が

こうなっていた。
紅葉の今の景色

鳴子現像 013-2-1gs
今朝の曇の冴えない色ですが


大岡昇平の「焚火」は名作だと思う。
真っ赤な燃えさかる紅葉の中で,子どもも殺して自分も穴を掘って,そこで焚火をしてその火で死のうとする女の話である。こんなにめくるめく紅葉の景色を書いた作品は見当たらない。読み進めていくと,果たしてこの場所は十和田湖かと思う。人は自分の死に場所に鮮烈な紅葉の山を選ぶのだろうか。めらめらと燃え上がる空襲の炎と愛を求める女の情炎の炎,それらはくすぶるものではなくめらめらと怖いほどに燃えさかるものなのだ。人間とはいよいよ業の炎に包まれる。ところがどうだろう。雨が降り始めて一転してくすんだ紅葉になった時に女はとうとう死ぬことをやめ,子どもを負ぶい,冷たい紅葉の山の斜面をずるずると登り始め,雨に濡れたまま3キロもある温泉宿に助けを求める。
あれ程全山燃えさかる紅葉の山だったのに,ひと雨来ただけで死ぬことをやめる。
このことによって,大岡昇平が「焚火」で,死の話を書きたかったのではないことが分かる。どろどろに泥にまみれた女が雨の中を子どもを背負い3キロも助けを求めて歩き続けるという生きる話なのだ。
それにしてもこれ程に怪しく美しい紅葉を描いた作品をわたしは他に知らない。まぎれもなく紅葉は人にとって生きるに値する美と大岡昇平は受け取っていたのだ。



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ヴァレリー・アファナシエフに会う

栗駒520 123ssss
ブナ展葉

わたしが手を差し出すとアファナシエフはそれに応えて手を出した。
名ピアニストの手はとても柔らかだった。
私はブナの展葉の季節の柔らかなブナの葉を触ったのかと思った。
手のひらから淡い緑色が広がった思いだった。

学習発表会一般公開 439-2s
アファナシエフ

彼の演奏を聴いてすぐ好きになったのは「モーツァルト 幻想曲ニ短調K.397」だった。
アファナシエフの音の響きの底にある間(ま)や余韻にたちまちのうちに魅了された。間のかすかな沈黙の中にしきりに降りしきるものが見えた。見えないが夜の間中,沈黙と共に何かがいつも降り注いでいる。夜の撮影の中で感じていたものが彼の演奏の間にありありと見えていた。彼は違うと思った。鍵盤を打つ一音一音に幻のようなものが白く立ち昇る気がした。旋律を待つ聴き方はできないと思った。

栗駒 780-2-2s
光差す

ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」「月光」「熱情」のプログラムだった。
アファナシエフは深呼吸もせず何も構えずに座るとすぐ弾き始めた。もう湧き出てくるものは止めようがないという雰囲気だった。アタックが世界に割って入るという感じはしない。彼のアタックは何かが世界に立ち昇ってくるという感じだ。突然に空に現われた虹のようだ。もう「悲愴」の第一楽章の後半で胸に迫るものがあった。知らないうちに涙がこみ上げていた。「月光」も,今まではギレリスのレコードで聴いてきたが叙情的というものに収まっていた部分がアファナシエフの演奏ではクールに聞こえてくる。音が立っている。右手と左手の音同士が補完し合っている感じがしない。音同士が同時に立ち上がってそのままに屹立している。

リコーダー講習会 096-2-2s
霧立つブナの林

音楽を風景に移し換えることはできない。
しかし何かどこかにある景色を思い出すことができる。それは映像というよりは前世の記憶の景色かもしれないし,かつてどこかで見た景色なのかもしれない。林の中を細く穏やかに曲がりくねる道である。タルコフスキーの映像のようでもある。ツルゲーネフの描く林の中の「逢い引き」の景色かもしれない。アファナシエフの打つ音はやはりロシアを感じさせる。音の底にある深い部分に滲んでくるかすかにむき出しになって見える情動のようなものがそう思わせるのかもしれません。夜明け前のうごめく霧を動かすものとも言えます。それがタルコフスキーを思い出させるんです。それもタルコフスキーの「鏡」に出てくる草むしている道や家の中にある鏡に映るほの暗さに似ているものです。

リコーダー講習会 754s
光と戯れ歌を歌う

それにしても宮城でアファナシエフが聞けるとは思ってもいませんでした。
彼の手はブナの若葉のように柔らかでした。
改めて彼のファンでよかったと思いました。
彼も69歳。何かを求め続けているから詩も書くし,本も出します。彼の思索はこれからも音の原点を深く彷徨い続けるでしょう。彼のバッハが聴けるのも近いかもしれません。


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