見えなくなる音

消えていく音-2gs
見えなくなる音

この場所を見付けたのはつい最近のことです。
単行電車が通過してもう一分以上も赤いテールランプを見送ることができる珍しい場所です。
「まだ見える,まだ見える」と心の中で呟きながら,殆ど夕闇に溶けていくまで電車の明かりを慕うことが出来る幸せをここでは感じることが出来ます。

夜の鉄道シーンを撮るようになってしばしば感覚的な混乱に陥ることがあります。

この写真ですと,まさに視覚上では電車の明かりを見送っていることになりますが,同時に音も見送っていることになります。
コトン,コトンと単行列車独特の澄んだ音が夕闇に溶けていくように続きます。つまり眼で見えるものを裏付ける音で遠く離れているものをリアルに実感しているのです。音を見送っているわけです。その音が写真にリアルさを与えていることに気付くと星の写真やいわゆる「夜感鉄道」と言われる分野の写真の魅力がなんであるかが分かるような気がします。夜のシーンでは音が聞こえて来る,音の強弱が感じられる,音が見えてくると魅力的な写真になるということになります。そういう写真ってあるんでしょうか。誰かがそのことに気付いて撮っているかもしれません。見たことはありません。

今電車を見送ると,それは光と音の同期性の中に居るということでしょうが,夜の場合は(あるいは昼であっても)光と音の同期性がそこなわれている場合を想像すると分かりやすいと思います。

夏草に 汽缶車の車輪 来て止まる   山口誓子

ぼうぼうと茂る夏草に機関車も見えないほどです。ただ音だけが機関車の存在を知らせます。そんな感覚になります。視覚が効かない中にいるように感じます。音から見えていない光景を視覚化できています。
これに類する感覚に陥ったのは谷崎潤一郎の「美食倶楽部」です。究極の美食を追究する果てに真っ暗闇の部屋で待たされ,やがてやってきた店の女が客の頬や口辺りのマッサージを始めます。食べる前に口蓋辺りの感覚を研ぎ澄ませようとすることなのでしょう。いわゆる前戯です。

また,梶井基次郎の「闇の絵巻」はどうでしょうか。夜の谷沿いの山道を感覚を頼りに歩いています。暗闇で何か無尽の深さを感じて谷底の方に石を落とします。やがて石の落ちて転がる音が谷の深さを知らせます。しばし柚の放埒な香りが谷底から塊になって湧き上がってきます。何とも美しいシーンです。

こうして夜や暗闇のシーンを集めると視覚が遮断されている世界で,手探りの視覚化が成されていることに気付きます。私はこれを「感覚遮断」と名付けています。夜や暗闇では見えることが遮断されています。その穴を埋めるように触覚や聴覚や嗅覚が研ぎ澄まされていくのです。ある感覚が遮断され,光と音の同期性が保たれなくなった時に起きる人間の身体や感情の反応。自然とそれを補おうとする補償行為。そうした身体の作用がおもしろいのです。例えば吹雪で全く視界が効かなくなったときに起る不安感情。そうしたことを想像すると夜の鉄道シーンの写真の魅力とは何かが見えてきませんか。そして夜で眼が見えない分だけ音が見えているという意味が「夜感鉄道」のキーワードになっていく意味が分かってくると思います。

さあ,夜の撮影に行きましょう。


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