Mr.ホームズの推理-アブダクション-

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ヒメオドリコソウ咲いて

先日テレビで「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件(2015)」をしていました。おもしろかったので書いてみます。

93歳になったシャーロック・ホームズが物忘れに苦しみながら,最後の事件であるアン・ケルモット夫人の自殺を食い止められなかった後悔を綴る形で映画は進んでいきます。 監督はビル・コンドン。ミッチ・カリンの 『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件』(角川書店刊)を原作にしています。
と,始めてから今日で3回目となります。シャーロックホームズの「観察力」,そして「養蜂をするホームズ」
今日はいよいよ最も興味をそそる「ホームズの推理力」について書いてみます。

しばしばホームズは探偵に必要な条件を,「知識」「観察」「推理」としています。いつも通りホームズに語ってもらいましょう。『四つの署名』の「推理の科学」からです。
君が今朝ウィグモア街の郵便局に行ったと分かるのは観察のおかげだ。しかし君がそこで何時電報を打ったかを教えてくれるのは推理だ」
「その通りだ!」彼は言った。「どちらもその通りだ。しかし実を言うと、どうやって君がそれを知ったのか見当がつかない。あれは突然の気まぐれだったし、誰にも言っていない」
ワトソンが郵便局に行ったことがなぜ分かったのでしょうか。ここでホームズは観察と推理を明確に分けて話しています。
僕は、観察によって君の靴の甲の上に小さな赤い土が付着していることを知った。ウィグモア通りの郵便局のちょうど向かいで、敷石を剥がして土が掘り返されており、それを踏まずに中に入れないような積み上げ方をしている。その土は特徴ある赤味を帯びていて、僕の知る限り、この辺りではあの場所以外には見あたらない。ここまでが観察だ。後は推理になる」

「じゃ、どうやって、君は電報のことを推理したんだ?」
「まず、僕は君が手紙を書いていなかったことを知っている。僕は午前中ずっと君の向かいに座っていたんだからね。僕はそこにある机の中に、君が切手と分厚いハガキの束を置いているのも知っている。ということは、電報を打つ以外に郵便局に何の用があるというんだ?他の要因を取り除いていけば、残った一つが真実でなければならない」

つまりホームズの思考は,「ワトソンの靴に付いていた赤い土-特徴ある赤味を帯びた土-どこの土か-ウィクモア通りの向かいの郵便局の道路工事-郵便局に行った」と観察するわけです。この観察の中には様々な思考が隠されています。
「ワトソンの靴に付いていた赤い土」は観察です。注意の持ち方です。観察するときに何に注意が向けられているかがポイントです。ホームズは,みな同じ物を見ているのに見えていないとよく言うのは,観察する際の注意の向け方や特徴付ける発見が出来ていないと言っているわけです。

若柳駅 015-2s
西日差し込む車内

この注意の向け方はその人を特徴づける物を探す行為なわけです。観察は発見する行為です。そのまま他とは違う物を探し出すという類別や識別というもので観察は成り立っています。映画の中でアン・ケルモット夫人が偽造したサインで銀行からお金を引き出し,薬屋に行って毒薬を買い,次に駅に行き,駅のホームで見知らぬ男にその金を渡します。その金が何の報酬としての金なのかホームズは観察によって見事に言い当てます。会って金を渡した男は「石工」だと言います。ごつい体,ズボンにはつぎはぎがあり,少し汚れた靴,何よりも大きな手,筋肉のついた体,節くれ立った擦り傷の多い手。この特徴によって何かを作る労働者だと分かります。でもどうして「石工」なのでしょうか。これが推理が混じる部分です。ケルモット夫人は過去に二人の子どもを流産している,そのことが彼女の人生を変えてしまった。彼女の考えることや行動は亡き子どもにすべて向けられている。子どもの墓を建てることは十二分に考えられる。二人の亡き子どもの墓を建てることで,子どもの安寧を祈ること。彼女が駅で接触した普段は会いそうもないあの男は「石工」だ。そう考えます。
男を観察した特徴をケルモット夫人の考え方と結びつけていく思考が働いています。推理は断片的な事実を一つの流れに取り込みながら進められていきます。仮定の蓋然性が次の観察事実によって一番可能性の高い事実へと集約されていくのが推理です。こう考えていくとホームズの推理は観察,行動,結びつけ,可能性と吟味されながら一つにまとまっていく,特別に目新しいものではないようです。これが「アブダクション」といわれる考え方です。「アブダクション」は時に「遡及的思考」とも言われます。進んだり,戻ったりしながら可能性の高い事実へと進んでいく思考のことを言います。難しく言うとアブダクションの中に「帰納的な思考」も「演繹的な思考」も入っているわけです。多くの観察した事実から引き出される帰納も,観察した事実に自然と現われてくる原因を探る演繹も,そしてケルモット夫人が墓を作るという新事実を発見する思考する思考もアブダクションなのです。


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夕陽沈む頃

アブダクションという思考は何も特別な思考ではありません。むしろ私たちが日常行っている考え方そのものがアブダクションと言っていいでしょう。ある新しい事実を発見する思考です。科学史を塗り替える程の,パラダイムを転換するほどの大発見もアブダクションということができます。シャーロックホームズは観察した事実から新しい事実を発見する思考,アブダクションの手練れであったと言えます。
われわれが何かを発想したり仮説しようとするとき、つまりは思考を開始するとき、まず先行的にアブダクションをしているのだろうとみなした。しかるのちにその第一次的なアブダクションによるおおざっぱな仮説が、それと関連するであろう観察事実とどのくらい近似しているかを帰納させたり、そこに必然的な帰結がありそうならば演繹的分析をおこなっていく。
しかしパースは、そのような帰納も演繹も実はアブダクション(第二次アブダクションや第三次アブダクション)にもとづいているのではないかとみなしたのだ。つまりはすべてはアブダクションに始まり、アブダクションに包まれていると見た。
                                            『パース著作集』を語る松岡正剛「千夜千冊」
パースの際立っている点は論理学に依りながらも人間の思考全体を「アブダクション」という生産活動として捉えた点です。帰納,演繹,シニフィアンとシニフィエ,イコン,三段論法,仮説,シンボル,インデックスという論理学が作り出したものをスルーして目的に辿り着く強さと柔らかさをパースの考え方は持っています。
「注意がたしかに後続する思考に大きな影響をおよぼすことを知る」この言葉はパース自身の言葉です。しかしシャーロックホームズと全く同じ言い方です。つまりアブダクションに始まって,アブダクションに終わるのです。

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沈黙に戻る

ではワトソンは郵便局に行って何をしたのか。ホームズは推理します。
「じゃ、どうやって、君は電報のことを推理したんだ?」
「まず、僕は君が手紙を書いていなかったことを知っている。僕は午前中ずっと君の向かいに座っていたんだからね。僕はそこにある机の中に、君が切手と分厚いハガキの束を置いているのも知っている。ということは、電報を打つ以外に郵便局に何の用があるというんだ?他の要因を取り除いていけば、残った一つが真実でなければならない」
こういうことです。①事務所でワトソンは手紙は書いていない②ワトソンの机の中には切手と分厚いハガキの束がある③ワトソンが机の中からハガキを出して書いたり,切手を貼った所を見ていない④推理-郵便局に行ったのはハガキを出すためではない。だから電報なのだ。
このアブダクションの中には隠されている様々な次元の違う事実も隠されています。つまり,ワトソンは手紙好きである。日常よく手紙を書いている。手紙を出すときには郵便局に行って出している。というような慣例的な事実も推理に影響を及ぼす前提というものがあるわけです。


今日の記事はいつものように書き下ろしで推敲無しで出しています。繋がらないところもあります。そこはごめんなさい。この話はもっと続きそうです。また書きます。


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