宮沢賢治「チューリップの幻術」その3-白い色-

焼石岳 430s
白い花 ハクサンイチゲ

今日から「チューリップの幻術」の作品に入ります。やっとという感じです。先回は「マグノリアの木」を取り上げました。そして今回から「チューリップの幻術」です。

作品「チューリップの幻術」は,初期形が「若い研師」から(1)「若い木霊」-「タネリはたしかにいちにちかんでいたようだった」になる流れと,初期形が「若い研師」から(2)「研師と園丁」-「チューリップの幻術」となるという流れで再改作されている作品です。「若い研師」の第2章が「二、チューリップ酒」です。ですから「チューリップの幻術」はアイディアとして最初から温められ,仕上げられた作品だと言えるでしょう。「若い研師」を読みますと「二、チューリップ酒」は改作しても殆ど変わらず内容を付け加えて「チューリップの幻術」となったことが分かります。

ところで先回の「マグノリアの木」では,大切なキーワードとして「マグノリアの木は寂静です」という表現が出てきました。つまり絶対的な善はマグノリアの木に,そして花びらに,そしてかぐわしい香りに現れ出てくる。また今見えている峰にも暗い密林にも善は現れ出ている。この「現れ出てくる」という意味は,ある意味が具体的なこの世の形になって現れ出てくるということです。つまり「顕現してくる」ということなのです。
実は「チューリップの幻術」の主人公になる,小さくて,白く,形の良いチューリップを最初のイメージの「」若い研師」では,「寂静」と書き表しているのです。そこの部分を完成形の「チューリップの幻術」から読んで見ましょう。
「よう、ご健康を祝します。いい酒です。貧乏な僕のお酒はまた一層いっそうに光っておまけに軽いのだ。」
「けれどもぜんたいこれでいいんですか。あんまり光が過ぎはしませんか。」
「いいえ心配しんぱいありません。酒があんなに湧きあがり波を立てたり渦になったり花弁をあふれて流れてもあの(寂静なしづかな 両方とも墨で削除)チュウリップの緑の花柄は一寸ちょっともゆらぎはしないのです。さあも一つおやりなさい。」
つまり賢治はマグノリアの大きく白い花に悟りの寂静を見て,チューリップの白い花にも悟りの寂静を見ていることになります。つまり「白い色」に悟りの意味(寂静)を重ねていたのではないかと思われるのです。

そこで,賢治は他の作品でも意識している,いないに関わらず,「白」に「寂静」の意味を重ねていたのか,と問うことはできます。闇夜の稲妻に浮かんだ「ガドルフの百合」はどうか。他の作品での「白」の使われ方や使い方の頻度はどうなのか。

焼石岳 954s

「春と修羅」第一集の70編の詩,文字にして4万弱を検索できるようにしておき,賢治の色の取り上げ方の頻度を調べてみました。賢治はどんな色をよく使ったのか。感覚が最も鋭く立ち現れてくる詩,「春と修羅」の言葉を吟味してみることにしたのです。以下が,その結果です。
賢治は作品でどんな色を多用していたか「春と修羅」編
青124回
白 70回
黒 57回
赤 50回
銀 34回
金 31回
黄 29回
緑 24回
以前「銀河鉄道の夜」の全文検索をした時にも似たような結果になりました。結果を載せます。
賢治は作品でどんな色を多用していたか「銀河鉄道の夜」編
青  84
黒  49
白  41
赤  34
銀色 29
黄  16
この結果から「賢治は青の詩人」だと思ったわけです。
ところが「白」の使われ方の頻度もかなり高いと思います。

白馬84 413-2gs
雲湧く白馬岳の朝

賢治の色に託すイメージにはとても重要な表現上の意味がありそうです。この点を掘り下げながらも次の特徴もあげなければいけません。実はマグノリアの花も,チューリップの花も具体的な描写が少ないのです。「チューリップの幻術」で最も大切な役割を果たす白いチューリップでさえ,「黄色のとなりの」「小さい」「白い」「形がよい」という限られた表現しか出てきません。この限られた情報だけで十分物語が成立しているし,場面を的確に描き切れているのです。その描き方,叙述のスタイルにも賢治らしさがあるのです。

次回に続きます。


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宮沢賢治「チューリップの幻術」その2-「マグノリアの木}-

ホウノキ雨に濡れるホオノキの花

 今日は,やっと休みです。今日は賢治の「チューリップの幻術」の2回目となります。1回目は賢治の生きた時代を20世紀トレンドと称して書いてみました。今日は賢治が童話を書くときの立ち位置がどこにあったのかというスタンスを探る回となります。そして話は彼の作品「マグノリアの木」から始まります。

賢治はホオノキをこう表現しています。
「サンタ、マグノリア、
 枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
向う側の子が答へました。

「天に飛びたつ銀の鳩。」
こちらの子が又うたひました。

「セント、マグノリア、
 枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
「天からおりた天の鳩。」
諒安はしづかに進んで行きました。

「マグノリアの木は寂静印です。」
ホオノキの花は香りがよく,喬木ですが,山を歩いているときにこの花の香りでよく立ち止まります。この大きな白い花が好きです。東北のホオノキが香りの良さや,また薬としても優れており献上されていたこともありました。

1日目ホオノキ開花1日目
さて, 「マグノリアの木は寂静印です。」という「寂静印」とは何のことでしょう。

wikiでは「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。」とあります。「静やかな安らぎの境地(寂静)である」ことを「寂静」と言っています。更に「いっさいの差別と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静印の示すものである。」と説明されています。
仏教では、「涅槃とはいっさいのとらわれ、しかも、いわれなきとらわれ(辺見)から解放された絶対自由の境地である。これは、縁起の法に生かされて生きている私たちが、互いに相依相関の関係にあることの自覚であり、積極的な利他活動として転回されなくてはならない。この意味で、この涅槃寂静は仏教が他の教えと異なるものとして法印といわれるのである。」

「マグノリアの木」の続きにまた出てきます。読んでみましょう。
マグノリアの木は寂静(じゃくじょう)です。あの花びらは天の山羊(やぎ)の乳(ちち)よりしめやかです。あのかおりは覚者(かくしゃ)たちの尊(とうと)い偈(げ)を人に送(おく)ります。」「それはみんな善(ぜん)です。」
「誰(だれ)の善ですか。」諒安はも一度(いちど)その美(うつく)しい黄金の高原とけわしい山谷の刻(きざ)みの中のマグノリアとを見ながらたずねました。
「覚者の善です。」


また難しい言葉です。「覚者の善」とは悟りを得た人の善ということでしょう。

「覚者の善は絶対(ぜったい)です。それはマグノリアの木にもあらわれ、けわしい峯(みね)のつめたい巌(いわ)にもあらわれ、谷の暗(くら)い密林(みつりん)もこの河(かわ)がずうっと流(なが)れて行って氾濫(はんらん)をするあたりの度々(たびたび)の革命(かくめい)や饑饉(ききん)や疫病(やくびょう)やみんな覚者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善でまた私どもの善です。」
つまり絶対的な善はマグノリアの木に,そして花に,そしてマグノリアのかぐわしい香りに現れ出てくる。また今見えている峰にも暗い密林にも善は現れ出ている。しかし,革命や飢饉,疫病にも現れ出るというのです。

 
1日目2雌しべを拡大してみると・・・

マグノリアの花の雌しべを拡大してみました。ここにアブ,ハチ類が飛んできて他の木の雄しべの花粉をつけるわけです。雌しべは立っていますが,次の日にはもう倒れて堅く閉ざされたようになっています。受粉のチャンスは1日だけなのです。開花1日目の花は夕方には堅く閉じてしまいます。そして次に花びらが開くともう雄しべの役割となるのです。次の写真を見て下さい。

ホウノキ
4日ほどたった花
もう一度花が開くと,もう雄花の役割に移っています
めしべは巻き上がって閉じているのがわかるでしょう。雄しべは花粉を出して,とれてお椀型の花びらにたまっていますね。これは4日ほど経った花でしょう。


さて話を戻しましょう。
「寂静」がどんなものかが対話の中で語られます。
「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌いになった方は。」
「ええ、私です。またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたが感(かん)じているのですから。」
「そうです、ありがとう、私です、またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたの中にあるのですから。」
その人は笑(わら)いました。諒安と二人ははじめて軽(かる)く礼(れい)をしました。
互いに認め合っているならばあなたの中に私は居て,わたしの中にあなたが居るという共空間が出来上がるというのです。

少なくても賢治が童話を書いたりする立ち位置が少しずつ分かってきたような気がします。つまり自然の万物は流転し,変化(メタモルフォーゼ)するが,すべては悟りを得た者からすると,この世にあるべきしてある。この世にある一木一草,動物,鉱物すべてがつながりを持ち,互いが互いの存在を侵犯せずに自分の生を全うする存在であるという考え方が賢治にはあって,そういう視点から「マグノリアの木」も書かれているのです。

私はここで「青森挽歌」を思い出します。トシの臨終の場面です。読んでみましょう。
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしつて行つたとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた

それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう

わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき

あいつは二へんうなづくやうに息をした
白い尖つたあごや頬がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなづいた

      《ヘツケル博士!

       わたくしがそのありがたい証明の

       任にあたつてもよろしうございます》

仮睡硅酸(かすゐけいさん)の雲のなかから
凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は……

    (宗谷海峡を越える晩は
     わたくしは夜どほし甲板に立ち
     あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
     からだはけがれたねがひにみたし
     そしてわたくしはほんたうに挑戦しやう)

   たしかにあのときはうなづいたのだ
長い引用になりましたが,唐突に出てくる「ヘッケル博士」という言葉に注目したいのです。  《ヘツケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》という意味はなんでしょう。

ヘッケル博士とは「エルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel, 1834年2月16日 ポツダム - 1919年8月8日 イェーナ)、ドイツの生物学者であり、哲学者です。ドイツでチャールズ・ダーウィンの進化論を広めるのに貢献した。」(by Wiki)と紹介されています。当時一世を風靡したマルチな学者です。賢治はヘッケルの「生命の不可思議」という本を原書で持っていたそうです。賢治はヘッケルの考えは読んで知っていたでしょう。彼の一元論の展開が鍵です。彼の文章を少し引用してみます。
「そこで特に強調したいのは、無機界と有機界は根本的に単一のものであり、有機界は無機界から進化してきたということだ。無機界と有機界にはほとんど明確な差がないのと同様に、植物界と動物界、さらに動物界と人間界の間にも絶対的な差異はないのである」
という考え方です。このヘッケルの考え方は,「自然というものに新たな読みの基準をもたらす」考えといってもいいでしょう。
「すべてのものがつながりを持ち,有機物も無機物から生じるという道筋を科学的な面から追究しようとした地平に立っています。神ではなく新たな「統一概念」を導き出そうとしているのです。
ここにはあらゆるものに魂がある汎神論が見えるし,生と死が絶対的な断絶ではない,死は次の生へという輪廻説も補助線として引けると言えます。

ここに賢治が持っていた仏教思想とヘッケルの西洋自然科学思想の一元論がシンクロしてくるのです。、無機界と有機界の区別なく普遍的な法則(仏教で言う「法」)によって統一されている自然(宇宙)であり、その普遍的な法則、あるいは宇宙そのものがへツケルの考える神、あるいは霊魂と言われるものだったのです。トシが死んでも魂は生きていて,次の生へとつながることができる。魂によって,無機物(死)から有機物(生)へ連続する地平ができる。すると魂を通じての互いの通信は可能ではないのか。と考えることができます。もし死んだトシとの通信(交信)ができたら生と死という現象を超えた一元論が証明されることになるからです。「 《ヘツケル博士!/ わたくしがそのありがたい証明の/ 任にあたつてもよろしうございます》」という言葉はそうした証明のことを言っているのではないでしょうか。

1日目3
もう一度,開花したばかりの花を見てみましょう。めしべの下のおしべは堅く付いたままですね。もちろん葯が開かず花粉も出ていないのです。花はこのように雌しべの期間と雄しべの期間と,時間をずらすことで他の木の花粉をもらい,また他の花へ花粉を運ぶ働きを効率的に可能としてきたのです。ここに植物のしたたかな戦略があるということです。


賢治の考え方は脱資本主義,階層権力社会からの自由,汎神論のニューバージョン世界という世界スタンダードからの脱構築(ディコントラクション)体系を試みている点で最新です。

葉が落ちて
葉が落ちて
 花びらも葉も取れた花はこうなります。めしべのところがこれから膨らみ,びっしりと実がつくんです。この段階でも香りはいいんです。


さてここで次に引き出したいのは「マグノリア」の花の「白」です。白い花と言えば「チューリップの幻術」に出てきた最も大切な花の色が「白」だったのです。
「そうです。そうです。そして一寸ちょっとあいつをごらんなさい。ね。そら、その黄いろの隣りのあいつです。」
「あの小さな白いのですか。」
「そうです、あれは此処では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰めてごらんなさい。どうです、形のいいことは一等でしょう。」
 洋傘直しはしばらくその花に見入ります。そしてだまってしまいます。
「ずいぶん寂かな緑の柄でしょう。風にゆらいで微かに光っているようです。いかにもその柄が風に靱(しな)っているようです。けれども実は少しも動いておりません。それにあの白い小さな花は何か不思議な合図を空に送っているようにあなたには思われませんか。」
白い花が多くのチューリップの中で特別に強い幻術を持っているように描かれます。
どうして「白」なのかを次回に探っていきましょう。

伊豆沼 198-2s
ハスの花にどさっと落ちたチャバネセセリ


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