宮沢賢治「チューリップの幻術」その4-白い色は天の色-

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星の白馬連峰

この頃,鉄道写真よりも山の写真を見つめるようになりました。山に行きたいと思っているのかなと感じます。

さて宮沢賢治の「チューリップの幻術」を読んで,様々に感じたことを書き始めて,今日で4回目になります。
1回目は,タゴールとの接点と賢治が生きた時代が新しい考え方のトレンドと一致する時代だったこと。
2回目は,「マグノリアの木」と白い色に共通する「寂静」という考え方。
3回目は,賢治が「白い色」を作品の中で多く取り上げていたこと。

そして,今日4回目は「チューリップの幻術」という作品にまつわる話をしたいと思います。よろしくお付き合いください。

賢治の作品で実際に白い花が出てくるのは様々にありますが,まず「マグノリアの木(ホオノキ)」「ガドルフの百合」「四又の百合」,「ポラーノの広場」での丸くぼんぼりのような白い明かりを灯すつめくさの花,そして「チューリップの幻術」の小さくて白いチューリップが頭に浮かびます。ここで少し「白い色」に少しこだわって見ると,白い色そのものが白き馬や白雉,白い鳥という表現で日本の歴史や文学で「呪術的で神秘的な現象」を表すことがあります。ですから深読みすれば,白いチュウリップが幻術を行うのにふさわしい「白色」であるということもできます。「マグノリアの木」の白,「チュウリップの幻術」での白をどちらも「寂静」という悟りを得た視点からの色に位置付けている所から見ると,賢治が「白」という色の意味を意識的に使っての表現だとは言えないでしょうか。さらに「チュウリップの幻術」に出てきた白のチュウリップを「寂静な」と表現して後の推敲で,寂静を墨で消して,「しづかな」に変えてから更に墨で消しているところをみると,意図的に仏教的な用語を使わない方向で作品を仕上げようとしていたのではないでしょうか。この寂静という語句を消すという行為は私たちに賢治がいつも作品を送る時に言っていた言葉を思い出させます。賢治は自分の作品を掲載してもらう時に「幻聴や何かの入らないすなほなものを選びました」(森佐一への書簡201,大正14年2月10日)という「これなら人がどう思うか,ほかの人たちと比べてどうか」ということに苦しんでいたのです。あまり仏教色を強くすると,偏見からの誤解を受けると感じていたのでした。これが「チュウリップの幻術」を推敲する中で「寂静」の抹消へと向かわせたのでしょう。

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白馬岳に昇る星

伊原昭の「文学における日本の色」を見ると和歌に詠まれた色でダントツで一番多い色が時代を超えて「白」だと言います。例えば万葉集で色が読み込まれた歌は717例あり,その内の292例が白色なんだそうです。これは色としての白が歌に詠み込まれる割合が41%になるといいます。また,平安時代成立の「古今和歌集」から「新古今和歌集」までをまとめた「八代集」で調べると,色が詠み込まれた歌が1089例あり,その内の487例が白で,白の出現率が45%になるそうです。自然を見詰めた賢治が白という色を最高位にある色と感じ,表現することは十分に考えられます。
先回の記事で私は「春と修羅」の全文検索をして色の使い方を調べてみました。その結果をもう1回載せます。
賢治は作品でどんな色を多用していたか「春と修羅」編
青124回
白 70回
黒 57回
赤 50回
銀 34回
金 31回
黄 29回
緑 24回
この結果から更に色以外に多用されている言葉を探してみたのです。
なんと第一位は143回も出てきた「わたくし」という言葉でした。つまり賢治は「わたくし」を中心とした世界を必死に記録し続けたということです。そして「わたくし」に対応する色が「青色」なのです。外界の自然に対応している色が「白」なのです。さらに色以外に多用される言葉を拾い上げました。
「春と修羅」に多用された語句
雲 129回
風 89回
光(ひかり)86回
山 72回
そら 65回
「わたくし」の143回に対応するかのように,「わたくし」の外界の自然の中では「雲」が頻出するようです。
「チュウリップの幻術」と始まりと終わりはこのように繰り返されています。「雲は光って立派な玉髄の置物です。四方の空を繞ります。」そしてラストは「太陽はいつか又雲の間にはいり太い白い光の棒の幾条を山と野原とに落します。」雲は光ることで飽和する白となり,ラストでも白い光の棒となって輝き続けるのです。


ここで「チュウリップの幻術」の中の白いチュウリップが出てくる本文を読んでみましょう。
「ね、此の黄と橙の大きな斑はアメリカから直かに取りました。こちらの黄いろは見ていると額が痛くなるでしょう。」
「ええ。」
「この赤と白の斑は私はいつでも昔の海賊のチョッキのような気がするんですよ。ね。
 それからこれはまっ赤な羽二重のコップでしょう。この花びらは半ぶんすきとおっているので大へん有名です。ですからこいつの球はずいぶんみんなで欲しがります。」
「ええ、全く立派です。赤い花は風で動いている時よりもじっとしている時の方がいいようですね。」
「そうです。そうです。そして一寸あいつをごらんなさい。ね。そら、その黄いろの隣りのあいつです。」
あの小さな白いのですか。」
「そうです、あれは此処では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰めてごらんなさい。どうです、形のいいことは一等でしょう。」
 洋傘直しはしばらくその花に見入ります。そしてだまってしまいます。
「ずいぶん寂かな緑の柄でしょう。風にゆらいで微かに光っているようです。いかにもその柄が風に靭っているようです。けれども実は少しも動いて居りません。それにあの白い小さな花は何か不思議な合図を空に送っているようにあなたには思われませんか。」(太字はnitta245)
この小さくて,白い花の形のよいチュウリップが「花の盃の中からぎらぎら光ってすきとおる蒸気が丁度水へ砂糖を溶したときのようにユラユラユラユラ空へ昇って行く」のです。この白いチュウリップの花の杯から光が湧いて,どんどん湧きあがって,ひろがり,青空も光の波でいっぱいになるのです。美しいシーンです。この光の酒を飲んで,洋傘直しと園丁は酩酊し,景色に中の木々も花も皆踊り始めるのです。この踊りが賢治の恍惚の気持ちの表現だと言うことは分かるでしょう。

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登高者

ところで前掲書の伊原昭の「文学にみえる日本の色」に「源氏物語」に描かれた白が印象的に書かれていたので紹介します。光源氏が白というイメージで美しく描かれます。
「庭園に残る雪。更に散り添う雪。咲き匂う白梅など・・・,(そうした白い情景の中に)「白き御衣どもを着給いて」(光源氏が現れる)
白で統一された世界に人としての美を極めた姿として現れる白い衣をまとった光源氏の美しい姿が想像されます。白で語られる美しさは賢治の童話でも生きています。



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