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春が降り立つ-栗駒山-

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春は小さく降り立つ

春は「張る」と折口信夫は言いいました。
中に張り詰めて入っていたものが春になると待ちかねて飛び出してくるというイメージでしょう、。埋もれ隠れていたものがその生命力の勢いで外界に出てくる。春はまさに現象的な面でもそうした考え方に一致しています。ヘーゲルは量から質への変化をまさに同じ考えで「アウフヘーベン(止揚)」という言い方をしていたのだと思います。これらの考え方は,何も難しいことではなくて,例えば花は種から芽を出して,生長し,花を咲かせて変化していく考え方と同じだと思うのです。芽を出した植物が量的な変化を遂げ,やがて花が咲くという大きな質の変化が訪れてきます。そして植物はまた生長していき,別のステージへと変化していく。
 これらの考え方は,生物発生の変化の原理から出てきているのでしょう。この考え方を一般では遅れた考え方としてアミニズムと言うようになりました。そして,いつの間にか未発達の社会の考え方として受け取られるようになりました。しかし,アミニズムは思想としても大切な考え方だと思うのです。自然の諸現象を表現する枠として実に有効だと思うのです。むしろこの思想の枠は様々な発達理論として援用されるようになったと踏んでいます。先ほど述べたヘーゲルのアウフヘーベンの考え方も自然現象の運動変化に言及しています。

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ブナの展葉始まる 林の明るさを感じるのはこの時辺りですね

折口信夫は魂もこの法則に従うことを極めて明らかに言及した人でした。今までにも何回か引用したことがありますが,もう一度取り上げてみます。
天中を行き経る遊離した魂,神が降らせた魂が人体の中府に降りて触れた魂を殖やし整えるということである。
こうして殖え整えられた魂が活動する力をもち、その余韻が威勢をもって外に放たれるのであり,「触(フル)」「威(フユ)」「振」は神を識り、聡く明るく身体剛健、寿命長遠の神術であると説いている。

                                       「折口信夫の霊魂論覚書」小川直之 から
私たちが生を受け,天上から幼きたましひが宿り始める。私たちはその「たましひ」を愛おしく大切に育てることが大切です。たましひは素直でうつろいやすく,また穢れやすいとも言われていました。はかなくたよりないものであるんです。やわらかくて外圧に弱く,そのくせしなやかでもある。日本人はその「たましひ」を「心もち」とも言いました。自分の中にその移ろいやすい「たましひ」を落ち着かせるためにたましづめの儀式をを行い,また増えたすがすがしい「たましひ」を人に贈る,人に贈ったたましひが長く附着させられるようにする。死んでも美しく穢れのない「たましひ」を呼び戻す,これが鎮魂の儀式でもありました。
このようなこころもとない人間の身体に美しく健気な「たましひ」はやってきて私たちに宿り,少しずつ育つ。私たちは少々弱くても,皆そのたましひを心やすく受け入れ,生き続けるのです。そしてさらに「たましひ」を清らかに,たくましく育て,殖やしていくのです。

神仏や幸せも外からやってきます。それを心安く受け入れる姿勢が「言祝ぎ」の儀式です。祭りでもあるのでしょう。しかし禍も入ってきます。禍は入れないと怒りますからやんわりともてなした上で出ていっていただくのです。魂もやってきます。すべて外界からやってくるものに処することが人の道であり,信仰なのです。日本人もそうでした。外界から訪れるものを大切にする,そんな生活の姿勢から成り立っていました。「まれびと」のことです。遠くにいても必ずやってきてくれて,私たちに幸せをもたらしてくれる。先祖の霊でもあり,神でもあり仏でもある。こんな自然発生的なステージ変化を春夏秋冬に当てはめてみるとたましいのこともよく分かってくるのではないでしょうか。そう考えれば,長い半年を超える東北の山国での春の訪れがどれほどの嬉しいものであり,豊作を約束してくれるものかが分かります。

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春を写す水面 田代沼

これらの考えを人はどう受け止めればよいのでしょうか。
ずばり言えます。「全肯定」です。外界からやってくるものは幸せなのか,悪なのかは分かりません。禍をも幸せに変えるすべは人は知りません。ただ受け入れることです。来る者は拒まずです。そこから始まります。貧乏神が来たら一旦受け入れて歓待して,やんわりと出ていっていただくのです。自然の為す事も受け入れるしかありません。雨も,風も,太陽の光も霧の朝も・・・。

折口はこうした魂を引き受ける態度を人の道にしようとしました。
道徳です。「たましひ」はただ放縦に育つわけではありません。その人の新しい反省と美しい世の中を望む心が必要なのです。歴史上己の感情だけで判断して,それをまことしやかに「公憤」としてすり替えて争いにしたことが何度あったでしょうか。清らかにたくましく伸びるたましひを育てるには一人一人に「道念(モラルセンス)」がなければいけないと言います。古語の「まこと」とは「個人が神に誓ったことばに対する責任を重んずる」という意味であって,個人が道徳的責任を負うという意味ではないのです。人の言葉は心の表れです。自分自身はできるだけの努力を行いながら,失敗することもある。人間とはそんな少しもろく,弱い面もある。だから新しい反省を行い,また生きる。道徳的な責任は上位の方(神)に任せるという枠組みです。この点の理解の取り違えが折口の思想をもろいものと
早合点することも多かったと思われます。
こう問うといいでしょう。「人が良い悪いを決められるものでしょうか」



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桜ひととき-お祝いの桜-

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お誕生日おめでとう 4/27撮影

子どもの誕生日にプレゼントを贈るとしても何がよいのか。
いつもその時その時の写真を贈りたいとも思う。しかし,あんまり喜んではもらえないようだ。


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行方不明だったハクチョウを発見した

このハクチョウは飛べません。
このハクチョウは,随分と前から内沼にいました。恐らくかなりの年齢になっていると思います。鳥の写真を撮っている頃は,このハクチョウをずっと見てきたんですが,ここ何年か鉄道の写真を撮るようになってから会っていませんでした。一人でこんなところに潜んでいたのかと可哀想になりました。冬になり,知り合いが飛んでくると,いろいろな場所を嬉々として案内している姿を見ました。友だち思いのハクチョウなんだなと憶えていました。
こんなところに一人でいたのか。暑い夏もなんとか凌いでほしい。応援すると言っても何もできないけれど,君の良さは知っている。見届けてあげたいと思います。

がんばれ。


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菜の花線菜の花駅三景

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気仙沼線 柳津駅手前

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東北本線 新田-石越

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ハクチョウが見送るよ

連休の計画を立てましょう



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