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柳田国男「東北旅行」覚書3

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「晴れ間をぬって」気仙沼線 陸前豊里-御岳堂 7/27

7月28日午前3時 いよいよという時に満月が雲に隠れ始めました。皆既月食ですが日本では月入帯食となりました。食の始まりから雲に隠れてがっかりでした。

さて,3回目になった柳田国男の宮城県旅行の足取りを探る旅は資料と見比べながらやっと近づいてきたようです。汽車が三日間不通になる程の大雨の中,柳田は一人で旅を続けたのでした。その日程を予想しながら順に追っていきます。

柳田国男の東北旅行日程
8月2日(月)東京出発
8月4日(水)仙台出発,野蒜,小野,石巻(泊?)
8月5日(木)石巻から自動車で渡波,女川浦,そして稲井の沼津貝塚,(遠藤源八,毛利総七郎に会ったか?)
         その後船越まで行ったか(泊) 「子供の眼」に出てくる
8月6日(金)船越から船に乗って十五浜(泊?)
8月7日(土)十五浜経由で追波川を上る。そして飯野川(泊)
        同じく「子供の眼」に出てくる。「甲板に立って釜谷地区を見る」とある。


8月8日(日)飯野川から,柳津,登米,佐沼,南方-佐沼で高橋清治郎と会うか?
        どこに泊まったのだろうか。不明

8月9日(月)遅くに一関に着いていたのかもしれない。
8月10日(火)一関で朝,水害の状況を見ている。「町の大水」

8/10~8/12まで鉄道は不通だった。(佐々木喜善日記より)

(大正9年8月の水害)盛岡の水害の様子 大正9年8月11日毎日新聞より被害の様子
9年8月4日以来,10日まで降りつゞいた雨は,各河川の増水を見,北上川の1丈2尺(約3.6m),中津川の9尺(約 2.7m)より,雫石川・簗川等の増水あり,各方面の被害が少くなかった。
どうやら南に台風が来ていたようです。その影響でしょう。

8月12日(木)一関出発,岩谷堂,人首
8月13日(金)遠野着夕方か 高善旅館から佐々木喜善に到着したと知らせる使いが出される「佐々木喜善 日記から」 
8月15日(日)遠野出発

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緑陰の候 

今日は登米歴史博物館の企画展関連講座でした。「登米地方のザシキワラシ」と題して,高橋学芸員が柳田国男,佐々木喜善,地元の高橋清治郎,地元出身ながら八戸に移った中道等,ニコライ・ネフスキー達の交流から生まれてくる登米地方のザシキワラシ三話を解説しました。ここに宮沢賢治も入ります。なんとも心がわくわくする大正時代の出来事なのでした。ここに目を付けたことは素晴らしいと思います。


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柳田国男「東北旅行」覚書2

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夜のとばり 石巻線 7/21 鹿又-佳景山

柳田国男の大正9年8月の東北旅行についてまとめています。
そこに浮かび上がって来たのが.柳田は遠野からは合流して二人となり.釜石で佐々木喜善と合流して更に八戸まで行くことになります。そこで遠野までは案内する人が地元にいたのかどうかという疑問に突き当たったのです。というのも,一関に10日の午前中に着いていたことは確実らしいのですが,4日~9日までの行程がよく分かっていないのです。宮城県に住む者としては,柳田国男の宮城県滞在が空白ではしっくりしない気持ちです。
そこで空白の宮城旅行を少しでも明らかにしたいと,この覚書きを付けることにしました。今日はその2回目です。
8月4日(水)に仙台を出発した柳田は,野蒜,小野,石巻,女川浦まで行って,飯野川,登米,佐沼のルートを取ったことは明らかなようですからそのルートをなぞりながら確かめていきたいと思います。ここでもう一度先回の旅行日程を載せます。
柳田国男の東北旅行日程
8月2日(月)東京出発
8月4日(水)仙台出発,野蒜,小野,石巻,女川浦,飯野川,登米,佐沼-石巻辺りは遠藤源八,毛利総七郎案内か
8月7日(土)船越泊(石巻市雄勝)

8月8日(日)~9日(月)石巻,飯野川,柳津,登米,佐沼,南方-この辺りは高橋清治郎案内か

8月10日(火)一関
8月12日(木)一関出発,岩谷堂,人首
8月13日(金)遠野
8月15日(日)遠野出発
ここで2か所の太字の部分「石巻辺りは遠藤源八,毛利総七郎案内か」「(登米,佐沼,南方周辺は)高橋清治郎案内か」がただの予想なのではっきりさせたいと思っています。

それでいったい実際本当のところはどうだったのか。旅程に関係あるところを拾い出してみます。

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夕暮れに帰る 石巻線 鹿又-佳景山


石巻から乗った自動車が,岡の麓の路を曲がって渡波の松林に走り附こうとする時,遠くに人と馬と荷車の一団が,斜めに横たわって休んでいるとみた瞬間に,その馬が首を回して車を牽いたまま横路に飛び込んだ。小学校を出たばかりかと思う小さな馬方が,綱を手にしたまま転んだと見た時には,もうその車の後ろの輪が一つ,腹の上を軋(きし)って過ぎた。「子供の眼」
と,驚くようなシーンに出合っていた。多分この日が4日か5日のことだろう。この続きは次のようにある。
中一日置いて次の日には,自分は十五浜からの帰りに,追波川から上ってくる発動機船の上にいた。大雨の小やみの間に,釜谷の部落を見ようとして甲板に立つと・・・(略)
4日か5日から中一日置くのだから6日か7日になる。そこで船越で一泊と合う。
しかし,三陸の旅の始まりをなぜ船越まで出るところから始めたのだろうか。
とにかくも柳田は自動車で石巻-渡波-十五浜(船越)へ泊まり,発動機船で北上川を遡り,釜谷(今の大川小学校地区)を船の甲板から見ながら飯野川に着いたのである。
これらの地名が出てきた「子供の眼」の次に「田地売立」が出てくる。
・・・迫川の岸に接した一農場は細田氏という人が実際の管理をしている。細田氏は遠田の農学校出身で・・・(略)
と地主と小作人との中での田の競り売りの現状が語られている。そして飯野川辺りで聞いた話の「狐のわな」。さらに辿り着いた宿屋での大水に見舞われる「町の大水」では「この出水は一日だけで,夜の中に宮城県の方に引いて往ってしまった。」とわざわざ「宮城県」と出れば,どうにももう岩手に来ていたと見るしかない。登米や佐沼辺りがすっぽりと抜け落ちている。しばらくして「おかみんの話」に地名が出てくる。「飯野川で私が頼んだ老按摩は」「昨日月浜まで同船したおかみんは」と地名が特定できる。
どうも按摩を頼むのは宿に着いた時だろうから飯野川に泊まったようだ。
                                                              (続く)


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柳田国男「東北旅行」覚書

夜の石巻線-2gs
月と木星のランデブー 昨夜7/21 石巻線 前谷地-涌谷

「わがふるさと気仙沼線」オリジナルプリント展示7/28予定

ひと雨ほしいですね
どうしたのでしょう。灌漑用水が整備されて干害にはなりませんが,昔ではそうなっていたでしょう。
つまり人間の施した整備環境で保っていて,まるで心配がいらないように思えますが,同時に自然の変化が分かりにくくなっている状況でもあるんですね。

さて,今日は柳田国男の東北旅行についての覚書きです。その際に柳田は南方在住の髙橋清治郎を訪れています。髙橋清治郎はこの時51歳,柳田は45歳でした。大正9年の8月4日旅行は仙台から始まり,9月12日の八戸まで続きます。その旅行での記録に高橋清治郎が出てきます。
佐沼の周囲の村々には,暦の裏に其年の大事件を記入して保存する風がある。高橋清治郎氏諸所の旧家を採訪して其何十通を集めている。最も古いものが享保年中だといふ。

佐沼辺にも例の古碑が多い。最も古きは南方村にあって建治某年、尚同村の正安何年かの碑には、念仏講何十何人の文字が見える。「大正九年八月以後東北旅行」
と佐沼や南方の記述があり,「柳津の町から少し下流に大柳津がある」と柳津,中田町石森等の地名が出てきます。その旅程を見ると簡単に次のようになるでしょう。

柳田国男の東北旅行日程
8月2日(月)東京出発
8月4日(水)仙台出発,野蒜,小野,石巻,女川浦,飯野川,登米,佐沼-石巻辺りは遠藤源八,毛利総七郎案内か
8月7日(土)船越泊(石巻市雄勝)

8月8日(日)~9日(月)石巻,飯野川,柳津,登米,佐沼,南方-この辺りは高橋清治郎案内か

8月10日(火)一関
8月12日(木)一関出発,岩谷堂,人首
8月13日(金)遠野
8月15日(日)遠野出発

この記述は高橋紘「柳田國男と高橋清治郎」に依ります。

佐沼花火3-2gs
7/22昨晩の佐沼の花火
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7/22昨晩の佐沼の花火


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