FC2ブログ

令和の入り口に立ち

DSC_2979-2gs.jpg
令和の入り口に立ち

令和という新しい時代が始まりました。
いつでも平和な時代を願うのは昔から常のことです。

終戦を迎えようとしていた昭和20年5月。柳田國男は「先祖の話」を空襲の中で書き上げました。
戦争でのたくさんの人々の死を感じながら「少なくとも国の為に戦って死んだ若人だけは何としてもこれを仏徒のいう無縁仏の列に疎外しておくわけにはいくまい」と書きました。私も戦争のことを調べるようになってから国の為に死んでいった人々の魂はどうしているのだろうと思うようになりました。あまりにもたくさんの人々の命が失われてきたのが戦争であり,災害であり,気象異変の歴史だったと思います。そうした先祖や先人の苦労を知らずに育ったらどうなるのかとも思います。どうせ自分の人生なのだから,死ぬんだったら自分の好きなように生き,好きなようにふるまい,好きなように死ぬさ,と思っていたら,国の為に,家の為にと一生懸命働いて作り上げてきた先祖や先人は何と嘆くであろうかと心が痛みます。東日本大震災で亡くなったたくさんの方々を思わずに今生きている人はいません。皆が過去を思い現在を生き,未来に希望を託しているのです。
そこで「少なくとも国の為に戦って死んだ若人だけは何としてもこれを仏徒のいう無縁仏の列に疎外しておくわけにはいくまい」という柳田の考えから,私は『魂の里親制度』という考え方はできないかと思いました。死者の直系の方はもちろんですが,例えば平成の時代を生きてきた私たちは,大震災の津波で若くして死んだ子どもや大人達の魂を今生き残っている者達が少しでも引き受けることは出来ないだろうか。亡くなった方の魂をあたら漂流させているばかりではいけないのではないでしょうか。確かに私たちは鎮魂のために祈ります。でも何に対して祈っているのでしょうか。家族以外の,亡くなった方の名前を呼んで祈ってあげているでしょうか。私達は私たちの祈りがより具体的な力となって彷徨っている魂の鎮魂となるように祈っているはずです。
『魂の里親制度』
このような考えはどうでしょうか。

私がこんな考えに至ったのは流れがあります。
まず宮沢賢治です。
賢治は妹トシが亡くなり随分と苦しみました。そして死んだ妹と真剣に交信(通信)することを考え,実際に試みました。もちろん死んだ妹と交信はできませんでしたが,彼のそうした思いは,亡くなった方が近くにいる方々はいつも感じていることではないでしょうか。できるならば死んだあの人と夢でもいいから話したいと・・・。そんな彼がやがて辿り着いた着地点が「たったひとりを祈ってはいけない」というある種の悟りでした。つまり妹一人だけの成仏を祈ってもそれは独善でしかない。妹と関わる者全てそれは前世の妹だったり,妹を作り上げてきたものだったりする係累するすべてのものに対して祈ることで妹の成仏も可能となるという考えだと思われます。
太古より日本人はものごころついた時にはそのように考えてきました。そしてその考え方を家畜や動物や無生物の物質にも当てはめて周囲のものを生き物,無生物に関係なく大切にしてきました。それを古いアミニズムと現代では考えるかもしれませんが,つい百年前までは実に普通の考え方でした。賢治がそのことにはたと気が付いたとき,自分の苦しみが昇華され,より多くの命の幸福になることに更に没頭していくことができました。それが「ほんとうの幸せ」です。

私は宗教は分かりませんが,柳田國男が考えたように彷徨える魂があるならばそれを初代として死者を引き受ける家があってもいいと思います。「新たに困難に身を捧げた者を初祖とした家が数多く出来るということも,(日本の)生死観を振作せしめる」と彼は言います。そして私はそれを宮沢賢治経由で『魂の里親制度』という言い方をしました。奇しくも宮沢賢治が妹の死を通して辿り着いた考えが皆の「ほんとうの幸せ」のために生きるということが死んでもなお通用することは令和を生きていく私たちにも大切なことではないでしょうか。

賢治が亡くなった後,賢治の親友だった藤原嘉藤治は賢治全集の編集を終えた後,自ら百姓として岩手の開拓地に入ったことはとても意義深いものと感じます。藤原嘉藤治は賢治の魂を引き受けたのだと感じるからです。彼は賢治の『魂の里親』になったのだと私には思えます。

※この考えは私くしの考えであることを付け加えておきます。

にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村