FC2ブログ

新・遠野物語-朝日差す-

DSC_2763-2s.jpg
朝日差す

今朝は霧の深い朝となった
太陽が霧の中から出て来るのを待った
1ヶ月に一回でもいいから自分が納得する場所で
息を詰めてシャッターを切りたい
集中した空気を写真に注ぎ込みたい

あなたは写真の何を見ていますか?


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
スポンサーサイト



講演会のお知らせ

1-時行神社ぐるぐる-2s
時行神社夜景

来週の日曜日の時行神社例大祭の日に講演することになりました。スサノウノミコトを祭る時行神社の歴史と百姓一揆について話します。私の新しいテーマである「新・遠野物語」への一歩となるでしょう。
日時 令和元年9月8日(日)14時30分~15時30分
場所 登米市迫町新田 「小友地区会館」
入場無料


興味ある方是非いらしてください。お待ちしております。

00-DSC_8078s.jpg
時行神社

講演の内容について簡単に載せておきます。

時行神社創建二百三十年記念講演
          日 時 令和元年九月八日午後二時三十分~
          場 所 小友地区会館
          発表者 及川 俊弘
第一部
「時行神社創建と三塚榮之助―新田村の天明期―」
目    次
はじめに
一、新田村史の中の「時行神社」
 ・伊藤長四郎氏の語る時行神社と三塚家に残る掛け軸より

二、三塚榮之助氏について
 ・三塚家と肝煎
・安永風土記に見る榮之助

三、天明という多難な時代
 ・「暦面裡書」に見る天明という時代
・「白き泥や馬の尾程の毛」が降ってきた
・熱病とは何か
・飢饉を生きる

四、時行神社について
(1)なぜ素盞鳴尊(スサノウノミコト)を祭神としたのか
 ・時行神社と津島神社との関係
・薬師堂の存在
(2)牛頭天王と疫病の結びつきは何か
 ・明治元年の「神仏判然令」の影響の大きさ
(3)時行神社の場所はどのように決められたのか
 ・時行神社の社地決定と方角

五、時行神社に残る一基の石碑から
 ・講と伊藤永仙の存在
 ・新田村石碑調査から分かってきたこと

第二部
「新しい時代を告げた太鼓
―明治二年百姓一揆顛末記―」
目    次
一、佐竹(さたけ)龍(りゅう)虎狼(ころう)という人
 ・佐竹家と明治という時代
・父勇三郎と柳生心眼流

二、一揆を起こす
 ・「小昧」の力
・一揆の流れ

三、一揆の記録から
 ・なぜ民主的な一揆にできたのか

四、渇命願書本文
 ・渴命書に書かれた百姓の力
・公平さとは何か

五、一揆後の処分
 ・家族の訴え
・無罪になった龍虎狼

六 佐沼付近十七ケ村百姓一揆の意義
 ・民主主義の先駆をなした百姓一揆の意義


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村

土偶の不思議

DSC_2362-2s.jpg
花巻博物館で見た土偶

7月に大湯ストーンサークルに行って「どばんくん」に会った。
それ以来土偶や縄文時代におもしろみを感じるようになった。先日読んだ本によると土偶はほとんどが女性で,そしてほとんどが壊された状態で発掘されていると書かれてあった。壊されるために創られているものだったらしい。そして壊されることでそこから生み出される豊饒さを約束される道具であったと言うのである。神話の中には殺されることでそこから生み出される恩恵によって豊饒さが安定するという話がある。保食神(うけもちの神)の話がある。
天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。(by Wiki)
こういう食物起源の話を「ハイヌウェレ型神話というらしく,殺された神の死体から作物が生まれたとする話のパターンです。作られた土偶もこうした流れによって壊されることで神に祈りを捧げるという意味かもしれません。しかしすべての土偶が壊されるために作られていたというわけではないようです。

DSC_2418-2s.jpg

さて縄文時代の祭りはストーンサークルと同様に太陽の動きにしたがって行なわれていたようです。春分,夏至,秋分,冬至。こうした区切りに合わせて祭りは行なわれ,火を焚き土偶や土器を焼いていたでしょう。そして儀式や会食が行なわれていたと思います。祭りは日の出の頃でしょうか,日没の頃だったでしょうか。日没の頃ならば炎が立ち,その中に土器や土偶が浮かび上がっている様子はきれいだったと思います。



にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村