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樹の佇まい

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立ち姿 

じっと眺めていて樹の立ち姿ほどしんみりするものはない。
しんみりするというのは心に深く沁みていくという意味です。何も考えずにただ虚心に受け入れられるものはこの世に多くはないでしょう。私にとって樹の立ち姿を見ることは,構えることもせずただそのままに受け止めていられる存在です。

 犬塚勉という画家がいました。
 その画家は山登りが好きで,1988年38歳という若さで山に散りました。
 彼の描いたブナの木の作品があります。
 山を愛する人でした。特に私は彼の描いたブナの樹を一目見て,まるで誰も居ない林の中でブナの樹を一人見上げた瞬間の心がすっかり晴れ上がる気持ちになりました。

img_1724177_64205760_5二本のブナの木(冬)1988
犬塚勉「二本のブナの木」(1988)

そんな樹の立ち姿が好きで,ブナの林に出掛け,桜の撮影も始めました。そして樹の美しさがその立ち姿にある,と思えるようになりました。無駄が無く,それでいてエネルギー効率が最大で,生きていく逞しい戦略を持つ樹木。その一本一本に百年単位の時間の地層が刻まれています。どうしてまたそんなに樹木の立ち姿(佇まい)が好きなのかと尋ねられると困りますが,樹の立ち姿が持つ気品,枝枝がつくる表情,周囲との調和,物言わぬ寡黙さ・・・,そんな姿に惹かれるのです。

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雨のブナの表情

自分なりに長いこといろんな林に通ったりしていますが,撮影は大変難しいものです。その樹木の持っている気品を損なわずに写真に記録することは簡単そうですが一旦迷いだすと際限なく迷い続けることになります。それでも迷い続けることはさほど苦しみではありません。どんな若い樹にも朽ちていこうとする千年の古木にも触り,対話し,樹の周囲を納得するほど歩き回ると最も良いアングルが見つかります。その時には樹も喜んでいるのが伝わってきます。
司馬遼太郎は,「樹霊」の冒頭でこう言います。
「ここ十五年ほどの間、われわれのこの島々の住人は開発という名のもとにあまりにも無造作に、というより狂ったように樹をきり倒し、いま自然ともいえないような環境のなかで、自分たちが何をしてきたかということに茫然としている。」
そして「あとがき」
「私はいわゆる神道に何の関心もないが、しかし人間の暮らしから樹霊の連り添いと樹霊への尊敬の心をうしなったときに、人間の精神がいかに荒涼としてくるかをうすうす気づいていて、おびえるような気持ちでいる。この襍を編み、この襍に参加された諸氏の気持ちもそこにあることを知った。樹を語りつつも、その根底には人間の仲間のゆくすえに対する深い憂いがあるように思われてならない。」
樹木が何も言わぬからと言って,怖れや憐れみや共感もなく樹という生き物を終わらせる人間の薄情さや罪深さを感じると,どうしようもなく哀しくなります。

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マザーツリー



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