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新・遠野物語-一人一文字「雨ニモマケズ」3-

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ロゴ入り「雨ニモマケズ」

写真の「雨ニモマケズ」の作品は子どもが一人一文字ずつ書いたものです。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は298文字全55行からできています。子ども一人が一文字ずつ好きな色で書いていくと総勢298名の子どもの手によって完成した作品になります。文字も行替えもすべて:賢治が「雨ニモマケズ」を残した手帳通りにしました。子どもたちは時に真剣に,時に楽しく,時に笑いながらこの作品を書いてくれました。思い出多いこの作品を写真として残したいと思い,新遠野物語シリーズとして「一人一文字雨ニモマケズ」を始めることにしました。

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大川小学校の教室で「雨ニモマケズ」

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は戦前に教科書に載ったことで全国に知られるようになりました。谷川徹三は「雨ニモマケズ」を二十世紀で最高の詩と高く評価しました。私自身も「雨ニモマケズ」は大好きですが,世間的な評価としては賛否が分かれている所でもあるようです。
「雨ニモマケズ」はまるで東北の,どこか日本人の精神の骨格をそのまま表現したような孤高さを漂わせています。この骨太さ。そして清貧なる孤高さはむしろはっきりと人間的な弱さから滲み出ているようです。まるで星を仰ぎ見て感じる切々とした細い希望を諦めない図太さまで貫通しています。開墾や開拓に明け暮れた先人の姿まで見えてきます。この「雨ニモマケズ」の精神性は私には日本文学の持っている仏教説話領域の高い完成度を示す証拠と見ています。古来から日本の説話文学は仏教の教えを民衆に平易な形で伝えるという意義を負っていました。今昔物語も,宇治拾遺物語等もどこか教導的で,仏教の教えと結びついて成熟していった所があったのです。説法や説話はどう教えを的確に分かりやすく人々に伝えられるかに収斂していきました。文学でのそういった領域を教導文学とも言ってきました。僧,山伏,廻国僧達は多分渡り歩いた日本各地で言葉で,絵で紙芝居にして,的確なエピソードを入れ「絵解き」や説法を行ったはずです。文学の歴史は少なからず「語り」そのものの完成度を高める歴史だったとも言えると思います。

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大川小学校の壁画と「雨ニモマケズ」

こうした長い日本の説話文学の現代的な大成の一つを宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が成し遂げたと言えるのではないでしょうか。
小難しげな言葉を並べ立てましたが何のことはない賢治の活動を振り返って見ればすぐ分かります。賢治の書いた童話とは何でしょう。実にオーソドックスな説話文学の流れのまっただ中にあると思いませんか。そうなのです。賢治は現代的な伝道者の一人に数えられるでしょう。89年前の不作に揺れた昭和六年の寒くなった時分に書かれた「雨ニモマケズ」をコロナに苦しむ現代にもう一度読み返してみましょう。


 11.3.

     〔雨ニモマケズ〕   

   雨ニモマケズ

   風ニモマケズ

   雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

   丈夫ナカラダヲモチ

   慾ハナク

   決シテ瞋ラズ

   イツモシヅカニワラッテヰル

   一日ニ玄米四合ト

   味噌ト少シノ野菜ヲタベ

   アラユルコトヲ

   ジブンヲカンジョウニ入レズニ

   ヨクミキキシワカリ

   ソシテワスレズ

   野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

   小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

   東ニ病気ノコドモアレバ

   行ッテ看病シテヤリ

   西ニツカレタ母アレバ

   行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

   南ニ死ニサウナ人アレバ

   行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

   北ニケンクヮヤソショウガアレバ

   ツマラナイカラヤメロトイヒ

   ヒデリノトキハナミダヲナガシ

   サムサノナツハオロオロアルキ

   ミンナニデクノボートヨバレ

   ホメラレモセズ

   クニモサレズ

   サウイフモノニ

   ワタシハナリタイ


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