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男語り女語り3-永浦誠喜さんプロフィール-

宮澤賢治写真帖夕暮れの水面 伊豆沼

この特集「男語り女語り」は,今は故人となられましたが,登米市の永浦誠喜さんと伊藤正子さんというお二人の昔話の語り部が実は全く同じルーツを持っていたこと。明治元年生まれのよふさんの話を聞いて育った(正子さんは祖母よふさん-母よしのさん経由)お二人だったということから,二人の語りの相違点を「男語り女語り」と称して追ってみたレポートです。その違いを知るためにまず二人の「雉も鳴かずば」を取り上げて比較してみました。
実はお二人の語りを実際にインターネット上で聴くことが出来ます。
「東アジア民話データベース」というサイト内の「日本民話データベース」のページの「宮城県」を開くと宮城の語り一覧が出てきます。以下の語り部の方のお話が聞けます。「日本民話データベース」は( こちら )
伊藤正子さんの語り 宮城県登米郡迫町
永浦誠喜さんの語り 宮城県登米郡南方町
佐々木健さんの語り 宮城県宮城郡利府町
早坂きよしさんの語り 宮城県加美郡色麻町下本町
只野とよさんの語り 宮城県遠田郡小牛田町(現 美里町)
佐藤玲子さんの語り 宮城県

このように今は絶対に聞くことができない語りを肉声で聴くことが出来ることは素晴らしいことですね。

賢治が見た伊豆沼靄懸かる朝

さて今日は永浦誠喜さんのプロフィールを紹介しましょう。
まずは永浦誠喜さんと伊藤正子さんのお二人の関係をもう一度確かめましょう。次の系図をご覧下さい。Mは明治の略,Tは大正の意です。太い線は昔話の伝承の流れです。

DSC_3712-2s赤枠入り日本の昔話11 「永浦誠喜翁の昔話」(昭和50)日本放送出版協会p304から部分引用

こう見ると二人とも祖母よふさんの孫であり,内孫としての永浦誠喜さん,外孫としての伊藤正子さんということになります。従ってお二人はいとこ同士です。誠喜さんはよふさんに毎夜直接に話を聞いて育ち,正子さんは母よしのさん経由でよふさんの話を聞いていたことになります。大正十五年生まれの正子さんが生まれる前年に明治元年生まれの祖母よふさんは亡くなっていたそうです。正子さんは生前の祖母よふさんの話を実際に聞く機会はなかったようです。しかし,よふさんの語り魂はしっかりと場所を隔てても正子さんに受け継がれていきました。伊藤正子さんのプロフィールは以前に記事にしたのでそちらをご覧下さい。その記事は( こちら )

永浦誠喜さんは明治四十二年四月十七日。登米市南方町青島屋敷に父清治,母みどりの長男として農家に生まれました。兄弟は上に姉きみえさん(明治三十九年)弟三人続いて妹のみち子さんの六人兄弟になります。農家を継ぎ,優れた人格で公民館長を務めたりしながら町史の編纂などにも盡力しました。NHKのど自慢の審査員も務めていらしたそうです。
昔話は四,五歳あたりから聞いていて小学校三年生の頃にはすっかり覚えてしまった。いろりに親しむ十一月から二月頃までが昔語りの時期で,特に年の暮れから正月にかけてはたくさん聞いた。薄暗いランプの下で,祖母はぼろ継ぎや足袋の繕いなどをしながら楽しく話してくれた。(中略)祖母はたとえごとがすごく上手で,「鼻をつままれても分からない真っ暗な夜」とか,「極楽浄土から吹いてくるような気持ちよい風」と言うように巧みな表現で楽しく話していた。永浦誠喜氏の昔話を採集した佐々木徳夫氏に依れば誠喜氏のレパートリーは実に二百七十五話だったそうです。その殆どが祖母のよふさんからの伝承です。誠喜氏ご自身の八人の子ども達にも昔話を伝え,学校でせがまれ語り,戦争で召集され青森の軍隊で語り,聞きたいと言えば誰にでも語ったそうです。すぐれた研究者小野和子さんが志津川で聞いた昔話が誠喜氏の昔話と似ており,聞いてみたところ軍隊で誠喜氏から聞いたものだったことが分かったこともあったそうです。

蛇足ですが私などはお二人の「忠兵衞と忠太郎」というお話はいつも心にじーんと染み渡り,目がうるんできます。「山椒大夫」の話を聞く度にやはり同じような心持ちになります。その心持ちは,昔,お祖母さん方が涙を拭き拭き,神楽や語りを聞いていたことと重なるような気がしています。

次の「男語り女語り」は,少し空けて今出てきた「山椒大夫」などの説教節についてお話したいと思います。


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