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白馬岳にて

どこへ出掛けても道の写真を何枚も撮ってしまう。
我ながら道の風景が好きなんだと思う。好きな割には自分が納得できる写真がさっぱり撮れていないのは,やはり道の写真は難しいからだと思う。構図の微妙なずれで一枚の写真として見た時に実につまらない写真に変わってしまうのだ。レンズの焦点距離,遠近感,色,光の差し具合,明暗のコントラストどれも大切であって,この中の何か一つだけ崩れてもしまりのない写真に変わってしまう。
以前はわざわざ遠くへ出掛けて道の写真を撮っていた。雲の中に消える登山道で,チョウを追いかけた獣道(けものみち)で,田舎の道で,農道で,あぜ道で・・・。
夜明け,日の出,夕暮れ,夕闇,月明かりの夜・・・。満開の桜の下の道,ホタルの道,林の道
どんな状況でも道は写る。

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東山魁夷「道」1950年戦後五年経って 東山魁夷はこの時42才

どうしてまた東山魁夷は日展で特選を取った「残照」の後に,こんな単純過ぎる,淡泊過ぎる,飾り気も何もない作品,「道」を出してきたのだろうと考えてみる。タイトルもただ「道」。言えることは彼にとってこの第二作の道こそが自分のすべてをさらけ出す絶好の機会であると感じ,最も難解なことを最も単純な中に昇華させようとしたのだと思う。それは多分私の道に対するこだわりに似ていることは,この「道」という作品をひと目観たときに直感した。どこをトリミングしてもバランスは崩れるだろう。そしてどこかに何かを附け足しても重心は崩れるだろうという作品である。画面が傾いてもいけない。地面の面積と空の面積と道の劃する面積がすべてを決定する。どれが一つだけでも狂えばすべてが狂ってしまう。まるで仏教の言うインドラの網のバランスであり,そして全体の調和なのだと感じる。
私はひと目観て東山魁夷のこの「道」という作品が好きになった。全体で観ても部分で観ても,トリミングしてみても完璧である。単純な道の風景の中に世界のすべてが詰まっている。世界のすべての均衡がかろうじて絵の中で夢のようにゆらめいているのである。どうしてそう感じられるのか,その理由は自分には分からない。分からないがひと目観てこれ以上の構図,色,ライン,筆のタッチは望めないと直感した。
そう。道はこの世のすべての条件の絶妙なバランスの上で成り立っている。道を描くことはこの世のバランスを描くことです。ですから道を人生になぞらえたり,やがて消えていく道の向こうが暗いからと言って,絶望や不安を描いたと評するのはあまりに単純な批評でしょう。そういう批評を概念的といいます。
とにかく今日は格闘し,苦し紛れの私の「道」の写真を見て下さい。

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さくら散り雨降る

砕石工場 133s
坑道

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光差してくる

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峠へと向かう夜道

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木道の果て

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冷たい風の起こるところ

栗駒山415 184s
開かれつつある春

台風前栗駒 185-2s
台風近づく



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