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晴れない

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新田駅

夕方に月が出て晴れていた。
ひょっとしてネオワイズ彗星が見られるかと新田駅の近くの田んぼへ行ってみました。
しかしすぐに薄い雲に覆われ,ついには雲に隠れて星すら見えなくなってしまいました。彗星の予想位置で写真を撮ってみましたが,彗星自身そのものももう5等近くまで減光しているでしょう。GPVで見ると8月10日近くまで夜は晴れないようです。例年ですとこの時期は稲の花が咲き始めているのですが,この日照不足。稲の花が咲く様子はありません。

さて,27日の河北新報で紹介されたそうですが,登米町でジャコウアゲハが大発生しているとのことです。

ジャコウアゲハ
メス
ジャコウアゲハ2
オス
ジャコウアゲハ3
地図

食草である「ウマノスズクサ」が例年ですと刈り払われている時期ですが,今年は刈り払いの時期が遅れたのだそうです。この時間をうまく使ってジャコウアゲハが一気に出てきたのでしょう。これからジャコウアゲハに優しい刈り払いをするきっかけになるでしょうね。
さて,ジャコウアゲハで是非見てみたいのがお菊虫と呼ばれている蛹です。きれいですね。是非実物を観察したいです。

800px-ジャコウアゲハ蛹-2ジャコウアゲハの蛹 Wikiから転写

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ジャコウアゲハの食草ウマノスズクサ Wikiから転写

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遠流志別石(おるしわけいしの)神社と於呂閇志(おろへし)神社2

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ネオワイズ彗 さようなら

まさか彗を一回しか見ていないのに終わりと言うことはないだろうなと雨続きの空を見上げてはため息をついています
は毎日どんどん暗くなっていきます。今日辺りは5等近くまで減光していると思います。あー。ちょっとでいいから晴れて下さい。

さて「遠流志別石(おるしわけいしの)神社と於呂閇志(おろへし)神社」と題しての2回目です。
「遠流志別石(おるしわけいしの)神社」と声に出してみます。次に「於呂閇志(おろへし)神社」と声に出してみます。何だか似ています。関係ありそうだと思って書いてみようと思ったわけです。

おるしわけいし
おろへし


司東真雄氏は『東北古代探訪』において「おろへし」は元々は「おろしへ」ではないかと考えました。関連して谷川健一氏は遠流志別石(おるしわけいし)の「石(いし)」が「君(きみ)」を誤って写した誤記ではないかと考えました。つまり「おろしへの君」という意味,「おろしべ地区の村長さん」と解することができると言うのです。とすると

おるしわけきみ
おろしへ


と,無理がありますが,限りなく二つは同じ音感に近づいていきます。
しかしこの二つを限りなく同じにしたいという引力が働いているからです。それはまず「遠流志別石(おるしわけいしの)神社と於呂閇志(おろへし)神社」,両方が「延喜式」式内社に当たっているからです。その神社を抜き出してみます。

栗原郡 7座(大1座・小6座)
表刀神社
志波姫神社(名神大)
雄鋭神社
駒形根神社
和我神社
香取御児神社
遠流志別石神社(貞)


胆沢郡 7座(並小)
磐神社
駒形神社
和我叡登挙神社(貞)
石手堰神社
胆沢川神社
止止井神社
於呂閉志神社


延喜式に載る重要な神社二つの成立に何か根拠となるものがあるのではないかと考えたくなります。
その根拠が「続日本紀」巻七の次の記述です。

続日本紀巻七たて

霊亀元年(715),陸奥蝦夷第三等 邑良志別君(おるしわけのきみ)宇蘇弥奈(うそみな)という人が狄(えぞ)の襲撃のために親族は死に,子孫は数人しか残っていない。香阿村に於いて郡家を建てて編戸(へんこ)の民となりこの先安心して暮らしたいと訴え願い出て,許可されたのでした。

「おるしわけいし」と「おろへし」はここに出てきた「邑良志別君(おるしわけのきみ)」宇蘇弥奈のことではないだろうかと考えているからです。

おるしわけきみ
おろしへ
そして,おるしわけのきみ


漢字にして並べると
遠流志別石(おるしわけいしの)
於呂閇志(おろへし)
邑良志別君(おるしわけのきみ)


同じ名前らしき関係する神社を地図上にプロットしていくと前の記事の地図になります。

おるしべ神社のあるところ2
おるへし,またはおるしわけいし神社のあるところ

これによって新しく移り住んだという「香阿村」とはどの辺にあるのかが推定できるでしょうか。
難しいですね。

ちなみに遠流志別石(おるしわけいしの)神社は現在登米市石越町にある遠流志別石(おるしわけいしの)神社と言われています。遠流志別(おるしわけ)という意味はアイヌ語で大きな川のほとりという意味があるのだそうです。私はアイヌ語はよく分からないので音感を頼りにメモしてみました。

奥羽観蹟聞老志巻之十 胆沢郡より「於呂閉志神社」を抜き出してみると
其七也
封内名蹟志曰。如今無称於呂閉志神社地。郷人曰。有呼猿山大明神者。其地曰下颪江(オロシエ)訓之曰於呂志閉。其峯巒樹林爵々古木森々。蓋於呂閉志之訓与下颪江。相近。然則郷人誤其訓来欠。甞疑其社号正下颪江。而郷説慣来伝言。其知文字者。因人易暁。而写称於呂閉志欠。神名帳伝写之時。却顛倒古来之訓者不可疑。言於呂閉志則言語順。而訓読平談也言下颪江則言語渋。而訓読難通也。古来郷人慣聞伝襲。而自然成方言者也。決神名伝写之誤■。以下颪江。而当正説矣。自之推之則猿山神社乃基本社也。

今の地名,「下颪江(オロシエ)」は「於呂閉志」から来たのでしょうね。読んで見ると「シエとヘシ」と逆転しています。この読みの逆転に司東真雄氏は目を付けたのでしょう。



昨日から日本ブログ村ネイチャーフォトランキングに参加することをやめました。
何位とかいらないことに悩まされるのもいやだし,もう十年以上やってきましたが方向性が合わないです。
自分の力でやります。

遠流志別石(おるしわけいしの)神社と於呂閇志(おろへし)神社

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ダブルファンタジーその後

さて先日霧の中に浮かぶ島のような上に太陽が懸かったダブルファンタジーという写真を載せました。その数分後霧が晴れていきました。そしてこのような写真になりました。ピークがまるで筑波山のように二つありますね。このような形の良い富士山のような形をした山が古来より山全体が,また山自身がご神体になっていました。そういう信仰が古代よりあったことは事実だと言っていいでしょう。ついでながらそうした信仰を広めたのは葛城金峰山系の山伏達と言われているようです。

さてこの猿岩山も標高はそう高くないにしても,整った形の山で北側には露出した岸壁がバットレスのように聳えた奇観も呈しています。この頂上に昔から「於呂閇志(おろへし)神社が」あったとされています。現在は頂上ではなくその中腹にお社が移され,現在に至っています。変わった名前の神社です。あれっと思ったのは登米市石越にも同じような語感をもった「遠流志別石(おるしわけいしの)神社」という神社があります。「おろへし」と「おるしわけいし」声に出してみても,何となくこの二つの神社の出所が近いのではないかと思われたのです。

そこでこうしたアイヌ語のような語感を持った神社が他にもないかとググッてみたら意外とあったのです。

登米市石越          遠流志別石(おるしわけいしの)神社
栗原市築館富野根岸    遠流志別石(おるしわけいしの)神社
栗原市尾松大石沢      ご神体に当たるような大きな石がある
栗原市沢辺大字姉歯沢田  ご神体に当たるような大きな石がある
岩手県奥州市胆沢      於呂閇志(おろへし)胆沢川神社
岩手県奥州市胆沢猿岩山 於呂閇志(おろへし)神社

更に白鳥白陽が書いた「栗原の遍歴」の中で「遠流志別石(おるしわけいしの)神社」にふれ,栗原市にあるこれらの神社や大きな石は一直線に連なって関係を成しているという記述があるらしいのです。(宮城県図書館レファレンス資料80.式内社「遠流志別石(おるしわけいしの)神社」のこと」から)
まるでストーンサークルのように興味深いことが書いてあります。そこでこれらの場所を地図上に表してみました。
おるしべ神社のあるところ2
遠流志別石(おるしわけいしの)神社と於呂閇志(おろへし)神社のあるところ


これは続きます