FC2ブログ

第四次元と賢治

 1925年(大正14年)12月20日29歳の宮澤賢治が,岩波茂雄(岩波書店店主)に宛てた手紙から始めます。
「・・・わたくしは岩手県の農学校の教師をして居りますが六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。わたくしはさう云ふ方の勉強もせずまた風だの稲だのにとかくまぎれ勝ちでしたから、わたくしはあとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました。その一部分をわたくしは柄にもなく昨年の春本にしたのです。心象スケッチ春と修羅とか何とか題して関根といふ店から自費で出しました。友人の先生尾山といふ人が詩集と銘をうちました。詩といふことはわたくしも知らないわけではありませんでしたが厳密に事実のとほりに記録したものを何だかいままでのつぎはぎしたものと混ぜられたのは不満でした。…」(下線は私)

 次に,1925年(大正14年)2月9日宮澤賢治が,森佐一に宛てた手紙です。
「・・・前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。」(下線は私)

 「われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じ」
 「或る心理学的な仕事の仕度に」
 この下線部だけ読んでも,一体賢治は何を目論んでいたのだろうと思います。
栗駒11.23 296s
11/23栗駒山

 中沢新一の「東方的」の「四次元の花嫁」を読みながら,私の頭の中では賢治の上の言葉が繰り返されていました。
 「われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じ」
 「或る心理学的な仕事の仕度に」という言葉は「第四次元」のことを指しているのではなかったかと腑に落ちた感じがしたからでした。
 実際,賢治も「第四次元」という言葉を「巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす」と「農民芸術概論綱要」の中で何度か使っています。私はこの「第四次元」をアインシュタインの相対性理論のことと思っていました。実際アインシュタインが特殊相対性理論を発表したのは1905年,1922年(大正11年 賢治は26歳)に来日してアインシュタインフィーバーに日本中が沸いていた時期です。賢治はこの時期に,認識の仕方や表現方法で「もっと高い次元の芸術」というものを模索していていたこととアインシュタインの理論の世界観の革命を重ねてみようとしていたのではないでしょうか。
栗駒山4.15 183s
4/15栗駒山
 だから私自身,賢治の手紙の「われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じ」や「或る心理学的な仕事の仕度に」という言葉の意味は相対性理論の理解なしには進まないと思っていました。
 ところが中沢新一は「四次元の花嫁」の中で,アインシュタインの相対性理論とは全く別の道を通って,いやむしろ全く相対性理論とは無関係に世界に「第四次元」という概念は沸騰しつつあったと言います。
 私たちの知覚する三次元の外部に第四の次元の到来を待ち望む動きは,20世紀初めのきわめてアバンギャルド的な芸術家や思想家たちに大きな影響を与え,フロイトの精神分析の誕生,神秘主義の台頭,シュールレアレスム,キュビズムの誕生と,一気に新しい「四次元」という認識の枠を超えた自由と創造の可能性を爆発させたのでした。
世界谷地7.1 497-2s
7/1栗駒山
 これを読んだとき,今まで相対性理論でつまずいていた私の賢治理解の難しさが一つ取り除かれて,楽になった思いがしました。賢治は自分の創作活動の未来に,まさに世界で沸騰しようとしていた「第四次元」を見いだそうとしていたのです。世界国,イーハトーヴ市にも,この潮流に乗っていた一人のモダニストがいたのです。
栗駒10.2 590s
10/2栗駒山
 では,「第四次元」とは実際なんなのでしょう。たて,よこ,高さという三次元に加わる時間軸という第四次元というのはどう認識されるものなのでしょうか。これは今現在アナロジーという方法でしか語れないことです。ただチャールズ・ヒントンという人は四次元の考えにフォルムを与えることに成功した人だそうです。前後,上下,左右という空間認識の枠から少しずつ自由になる訓練を積むことから始まるそうです。そこで最後の制約が左右だそうです。
 空間という概念を一挙に拡大してカントのアプリオリに大きな揺さぶりをかける現代が始まろうとしていた時代の宮澤賢治は「春と修羅」や「小岩井農場」という作品で様々な実験を試みていたわけです。
しかし賢治は四次元の思考を手に入れることができなかったのでしょうか。彼は「自動記述法」や「自動連想」という方法でシュールレアリスムに先んじて,三次元空間から静止したまま一気に古生代を感じることができたわけですから。

にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
関連記事

コメント

非公開コメント