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賢治と東山砕石工場

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「石と賢治のミュージアム」岩手県一関市東山町

 ここは「石と賢治のミュージアム」エントランスです。
 鉄道の指示板を模した大きな風車が印象に残ります。
 すぐ向こうをただ今電車が通過しました。一関発気仙沼行きの電車です。右手すぐ10メートル先の陸中松川駅に停車して18時07分に発車してきたのです。

 宮澤賢治がここ東山町にある旧東山砕石工場に勤めることになったのは,昭和6年2月21日(1931年賢治35歳)と下の写真の契約書にあります。30歳で教員を辞めて,羅須地人協会で2年半余り奔走を繰り返し,とうとう倒れたのでした。
 東山砕石工場の工場主鈴木東蔵は営業のため花巻の肥料商を回り,宮澤賢治の名を教えられ,病床にある賢治を初めて訪れました。昭和4年のことでした。そして二人の運命のつきあいが始まりました。
 昭和5年4月,また鈴木東蔵が花巻の宮澤賢治宅を訪れました。
東山砕石工場 2013-01-20 216s
 宮澤賢治の,この就職を彼の文学的な才能から見てもおしいという人が居ます。結局は病に倒れ,死を早めたきっかけとなったと考えるからでしょう。確かにそうかもしれません。しかし,賢治はどうしても仕事に就くことを選んだと思います。きちんとした仕事をすることを何よりも彼自身が望んでいたと思います。
東山砕石工場 2013-01-20 261s石と賢治のミュージアムへと続くトロッコ線路

賢治の作品だけ読んでいると,彼の東山砕石工場での働き方や営業の仕方の工夫などに案外気がつかないものですが,仕事人としての生の賢治を知ることができます。やはり几帳面で,辛苦をいとわない熱心な仕事ぶりです。その時代のことは,前「石と賢治のミュージアム」館長さんを勤めた伊藤良治「宮澤賢治と東北砕石工場」に詳しいので興味のある方はどうぞ。(詳しくは こちら )

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また賢治の東山砕石工場時代を書いたものではこれもいい本です。
宮沢賢治 東北砕石工場技師論宮沢賢治 東北砕石工場技師論
(2000/02)
佐藤 通雅

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東山砕石工場 2013-01-20 243s
みごとな水晶

 そうそう。「石と賢治のミュージアム」の方に,この本を紹介されました。読んでみたら,新書でありながら実に密度の高い本でした。
科学者としての宮沢賢治 (平凡社新書)科学者としての宮沢賢治 (平凡社新書)
(2010/07/16)
斎藤 文一

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朝1.18 2013-01-18 030s-15℃の朝(伊豆沼1/18)

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