FC2ブログ

川をさかのぼる2-喚山神社-

二ツ屋 2013-02-16 222-2s
 私はマイペースの山歩き派で,殊に栗駒山は近くの山なのでよく登っています。一方,川の景色も心和むものでよく川沿いに車を走らせます。少し前に「川をさかのぼる」という記事を書きましたが,その川は北上川のことです。今日は私が住んでいる登米市の豊里二ツ屋にある喚山神社を紹介します。この豊里町も旧北上川が流れており,北上川,旧北上川と迫川が合流するところに豊里の町があります。つまりここは三本の川に囲まれ,それらの川の合流点にも当たっているわけです。そこに二ツ屋地区があり,この喚山神社があります。
二ツ屋 2013-02-16 169s喚山神社全景。ここに「伊達長門宗光公顕彰碑」があります。

 今日紹介したいのは,この神社の境内にある一基の石碑です。
 近寄ってみますと「伊達長門宗光公顕彰碑」とあります。この喚山神社が建てられることになった由来,つまり縁起が書かれているのです。
ここで少し長ったらしい説明になりますので,適当に読んでください。石碑に書かれていることをただなぞるだけですけど。
伊達宗充は,五代藩主吉村の孫です。登米に来て,登米十一代館主になりました。この宗充の子どもが後の十二代藩主齋邦に当たります。

 文化元年(1804)登米の館主として赴任した宗充は,四方を川に囲まれ,水害と荒れ地と化していたこの土地を,まず安全に暮らせるようにと新堤を築堤しました。そして水害になっても避難所として使えるようにと二つの避難所を造りました。地区の名前の二ツ屋です。

 で,ここからが肝心なところです。
文化5年(1809)岩手の鹿角,花巻方面から「佐藤嘉助以下25戸」の入植者
文化6年(1810)岩手の鹿角,花巻方面から12戸の入植者
文化7年(1811)野谷地番安藤,金子,肝入佐藤六蔵と40戸の人々が散田足軽に登用

岩手からここ登米市に北上川を下り,新天地を求めて入植が続きます。

そして天保の飢饉。
流民となった岩手の農民が和賀,胆澤方面から60人大凡12.3戸がここに再生を求めて流れ着きます。
大飢饉の折,宗充は敢えて開田を企画し,巨大プロジェクトを動かしたのです。なんという宗充の慧眼と懐の広さを感じさせる話でしょう。名君と言われることが頷けます。
二ツ屋 2013-02-16 173s
天保14年(1843)6.11といいます。その宗充が亡くなりました。
宗充を名君と慕った二ツ屋の人々は宗充を祀る喚山神社建立を嘆願しましたが,聞き入れられませんでした。

二ツ屋 2013-02-16 180s
 私がすごいと思ったことは,困窮した流浪の民が新天地を求める入り口になっていたのが川であったこと。すべての情報や交通が川を通して行われていたことです。鹿角,花巻,和賀,胆澤南部藩から希望を求めてたどり着いたのがここ登米だったことです。ドラマを感じる石碑でした。
二ツ屋 2013-02-16 434s今日の伊豆沼の夕暮れ
そうそう,宮澤賢治が船に乗ってこの北上川を下り,生まれて初めて海を見たのは河口の石巻でした。
二ツ屋 2013-02-16 413s今日の伊豆沼の夕暮れ
石巻も一日でも早く津波の被害から立ち直ることを祈っています。
先人は命がけで北上川をつくってきたのですから。

後で知ったのですが,伊達宗弘さんもこの石碑のことを書いていました。そのページを紹介しておきます。(そのページは こちら )

にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



コメント

シメ・・久し振りです。うちの辺りでは「マメグチ(豆口?)」と言っていました。それから、「二ツ屋」地区・・寺池と涌谷との境。いろいろあった所です。あの「喚山神社」は知りませんでした。豊里地区は北上川・迫川に関係しているので色々あったようです。それにしても、岩手県との深い繋がりが豊里にもあったとは驚きでした。勉強になりました。ありがとうございました。

Re: タイトルなし

> ↓の賢治さんの番組のご紹介ありがとうございます。ビデオに録画して見ます(^_-)
わたしも録画予約しました。楽しみです。新進気鋭の映像作家たちが宮澤賢治をどう表現するのか楽しみです。
> シメ、このシックな羽の色、歌舞伎役者のような凛々しい顔立ちも好きな鳥です。今年はまだ見ていませんでした。
これは大きな群れで居るときの中の一羽でした。数百単位の群れでした。

> 花巻から流れ着いた人々が、建立に関わったのかもとか思ってしまいました。
そうなんです。宮澤賢治との意外な接点をみつけて嬉しくなったのでした。

↓の賢治さんの番組のご紹介ありがとうございます。ビデオに録画して見ます(^_-)

シメ、このシックな羽の色、歌舞伎役者のような凛々しい顔立ちも好きな鳥です。今年はまだ見ていませんでした。

そして、この神社、一昨年の岩手・花巻の旅で見かけて立ち寄った神社にとっても良く似ていて
思わず、まじまじと見てしまいました。
花巻から新花巻へとレンタサイクルで移動中、広々とした田んぼの中にひっそりと建っていました。
何だか、いいなぁと心惹かれて立ち寄ったのですけれど、リンクするものを感じました。
花巻から流れ着いた人々が、建立に関わったのかもとか思ってしまいました。

名君、宗充公、素晴らしい人物だったのですね。浪漫を感じる記事でした。ありがとうございました。
非公開コメント