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川をさかのぼる-石碑に見る中世-

桜夜19
白く浮かび上がる

 今日は休み。
 桜の写真を見ながら,少しゆっくりお話ししたいと思います。
 写真は桜ですが,話の中身は桜とは関係のない鎌倉時代の話です。
 そう,「川をさかのぼる」の続き。川とは北上川のことです。(前の記事は こちら )(また一つ前の記事は こちら )
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晴れゆく

 ここに一基の石碑があります。板碑(いたひ)というものです。
 この石碑はずいぶんと古いもので「正應三年」(1290)と見て取れます。石碑が白くなっているのは最近誰かが拓本を採ったからでしょう。この様式の板碑がこの地域には鎌倉初期から急増するのです。宮城県だけで鎌倉,南北朝,室町にかけて1000弱の板碑が残っています。これは全国から見てもすごいことです。
そして,不思議なことに,北上川に沿って天台宗の大きな寺が要所を占めるように創建されています。以前に何回か取り上げた世界遺産の平泉の中尊寺や毛越寺は天台宗のお寺です。また北上川に通じる涌谷の箟岳(ののだけ)箟峯寺(こんぽうじ)も天台宗,登米市中田町淺水長谷寺,石巻東雲寺,北上川をさかのぼって,一関市には天台宗の寺が三つ,水沢に二つ,そして黒石寺。瀬戸内寂聴さんで有名になった二戸の天台寺も天台宗。

 どうしてこんなに北上川水系に天台宗の寺が多いのかと思ったのです。
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登米市中田町上沼弥勒寺の板碑(正應三年)

 次に最初に紹介した板碑類が多くの確率で石巻の稲井石で建てられているようです。つまり石碑用に稲井石が北上川を石巻から船でさかのぼり,北上川水系の様々な土地に広がっていったと予想できます。
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桜吹雪(4枚合成)

 天台宗,板碑,稲井石。そして奥州藤原氏なき後の鎌倉武士の所領としての葛西氏との関係。実におもしろいと思います。そしてその関係を浮かび上がらせるのが北上川という川です。
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 興味をもって本を読むと,北上川水系に天台宗のお寺が多いのは慈覚大師の巡錫行によるものと書かれていました。奥州藤原氏は天台宗に帰依したのです。「慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされる。浅草の浅草寺はそのひとつ。」(by WIKI)山形立石寺,松島の瑞巌寺も慈覚大師が開山したのです。(瑞巌寺はのちに臨済宗になります)
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水面の桜花

 登米地域の鎌倉,南北朝,室町時代の石碑数を数えると,331基にも及びます。宮城県全体の1/3強にもなる数字です。
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田んぼに水入る

 昭和30年のことでした。北上川の堤防工事中に登米市中田町桜場の水田,下約4尺から約15000枚という大量の宋銭が出土しました。川に沿って多くの物資や文化が運ばれていたことは確かでしょう。

 「天台宗,板碑,修験,稲井石,鎌倉武士。」

 これらが,東北の片隅ではあっても,豊かな経済と文化の存在を語るに足るものだと思わずにはいられません。

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