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栗駒山を探る-秋田日記-

くりこま 006s
日昇る

昔の栗駒山に興味がある人がやがてたどり着くのが,この「秋田日記」でしょう。
秋田日記 001s
この本は天保八年(1837)仙台藩の気仙沼に住む熊谷新右衛門という男が,秋田矢島藩へ米の買い付けをしに栗駒山を越えていくという日記である。
 この中に当時の栗駒山を越えるルートが記録されているのです。
秋田日記 008s
まず何よりもこの日記は,天保年間の同じ東北でも太平洋側と日本海側ではこんなに違うのかと思い知らされる内容になっている。「ヤマセ」による太平洋側の大凶作と飢餓,ヤマセの影響を受けなかった日本海側の豊かな生活が地獄と天国のように描かれている。
栗駒5.20 265s
この天保八年という年だけで,宮城県気仙沼の町民4000人のうち疫病が起きて1300人死んでいる。郡下でも4000人がなくなっている。そこで気仙沼の熊谷新右衛門が御救助米として,秋田矢島藩へ米の買い付けに行ったのだった。
4/1 小安(今の子安峡のこと)温泉佐藤湯左衛門方へ泊る。
献立 にしん かずの子 味噌合えかど(鰊)焼き物 うど汁 わさび猪口 ほんなのひたしうどん 豆腐(たれは大根のしぼり汁)牛蒡 塩赤魚 塩鱒 塩鮭もある。吸い物はにしんへセリを用う
太平洋側では飢餓の極致なのにこの豪華な献立。
秋田日記 010s
酒もたっぷりとあった。この頃仙台藩はこの大凶作のため酒の醸造が禁じられていたのです。
おまけに酒盛りも盛大である。
二日昼より酒盛りあり。秋田の名物音頭と三味線,太鼓,笛鉦で囃す。女子四人男十人入れ替わり立ち替わり一日中騒ぐ



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