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アンビエント-新海誠と陰翳礼讃-

前の記事で伊豆沼のハスが壊滅的な状況とお話ししましたが,まだ水も引かないのにまた先週の木曜日の大雨と同じくらいの雨が降るという天気予報を聞いて愕然としてしまいました。このままでは沼が氾濫して水害も起きる可能性があります。ハスも残念ですが,ハスどころじゃないという感じになってきました。警戒態勢に入らなければなりません。
蒼い朝
冬の蒼い朝

今日はいきなり季節外れの冬の伊豆沼の写真ですが,よろしくお付き合いください。

先日子どもが映画を観に出かけ,パンフレットを持ってきました。新海誠の新作「言の葉の庭」です。そのパンフレットの中の一コマ,一コマのシーンの美しさに驚きました。その作画について知りたくなりました。そしてたどり着いたのが「アンビエント」つまり「環境光」を取り入れた絵づくりです。尚,これからの絵は新海誠の活動報告をしているサイト『Other voice-遠い声-』から引用させていただきました。
まずパンフレットにも載っていた絵を見てください。
c44_finish_L.jpg完成したコマ
雨の日の陰影のつくり方が独特です。写真で撮ると雨の日のこの光線では顔はもっと黒く潰れるでしょう。私などは写真を撮るときにこの潰れを抑えるためにカメラの「D-ライティング」という機能を「やや強く」に設定してコントラストを低めにして撮ります。その考え方が「言の葉の庭」で完成された形で「陰の質感」として生きているではありませんか。そしてその上「アンビエント(環境光)」を考えた彩色を意識的に取り入れたと書いてあります。その環境光の取り入れ方は作画彩色の上でどう表現されているのでしょうか。絵に付けられたコメントを見てください。
kotonoha_nuriwake_L.jpg
特に左上の説明の部分が環境光を取り入れた技法だといいます。反射光の部分の輪郭線にも彩色,そして本来落ち込んでいく部分に反射された光を加え,環境光の面積やポイント,色の取り方を工夫しているわけです。
環境光というのはいわば反射してくる光です。光に当たっていない陰の輪郭を浮かび上がらせるということになります。確かに洋服の右側や顔の右部分に輪郭に沿って緑の葉から反射して回り込んだ光が緑色についています。これは光というよりは落ち込む陰の質感を際立たせるという意図があります。この効果によって見事に背景に溶け込みながら輪郭が際立つという表現を可能にさせているわけです。見事です。しかしこれは輪郭を線ではなく色の階調で表現しているとも言えるでしょう。

そこで私がこの絵の陰の部分を見て思い出したのは谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」です。
rain09_L.jpg
日本家屋の座敷の奥,陰の部分の言葉です。
「ただ清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り,そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈を生むようにする。にも拘らず,我らは落懸(おとしがけ)のうしろや,花活の周囲や,違い棚の下などを填(う)めている闇を眺めて,それが何でもない蔭であることを知りながらもその空気だけがシーンと沈みきっているような,永劫普遍の閑寂がその暗がりを領している(ことを知っている)」

「虚無の空間を任意に遮蔽して(できる)陰翳に幽玄味をもたせたのである。」

 陰をつくるために窓のくりぬき方,その形,位置,深さを考えたのです。
障子から差し込む濾過されたような拡散された光は床の間に程よい闇をつくりだします。かすかな夢のような明るさが畳や柱にかすかにもたれかかります。そしてそのか弱き光は闇にゆらゆらと溶け込み,闇を侵食するということはありません。光の穂先がゆらゆらと闇をなでている状態なのです。

rain10_L.jpg
この雨の絵も卓抜したものがあります。環境光を意識することにより,暗部の(闇)の質を可視寸前まで引き上げながら光と闇のゆらゆらとした融合を見せます。

谷崎はろうそくの炎のまたたく所での漆器の照りの巧妙さも語ります。明るすぎる所では漆器の良さは出てこないと言います。ろうそくの炎がやわらいだところに浮かび上がる漆器の「沼のような深さと厚みをもったつや」が発見されるといいます。黒,赤,茶の色は幾重にも塗られ闇を重ねた色です。

新海誠の台詞にはこの重ね塗りされた闇の地層に閉じ込められて,そして確かに残り続ける感覚が出てきます。
「夕立のときに立ちこめるアスファルトのにおい」
彼は遠く離れていってしまうものを描き続けながら,におい,さわった感じ,感覚を共有すること,音,味という一次感覚に帰っていくことで君とぼくの地平線はつながり,未来は成り立っているんだよと言いたげです。

私はそれに賛成です。
闇は塗りつぶされるものではないからです。


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