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賢治栗駒山の麓へ

栗駒11.5s
栗駒山ブナ林の秋

台風は大きな被害をもたらして去っていこうとしています。皆様の所では如何でしたか。ご無事をお祈りしています。

今日は21日の賢治の命日を前に賢治のことを書きたいと思います。
よろしくお付き合いください。題して「築館に行った賢治」になります。
築館というところは宮城県北部の栗原市にある栗駒山の麓にある昔からの街です。

 最近「仙台郷土研究」という昔の本を読んでいたときです。昭和14年に書かれた「花山御番所考」の著者,渡邊波光という人が築館に調べに行っているのです。そして賢治の築館への行き方と7年後に訪れた渡邊という人の築館への行き方が違っているのです。

 ご存じのように,賢治が東山砕石工場に勤め始めてから営業として半年の間に4回ほど宮城県を訪れています。いずれも昭和6年に集中していますが,宮城県に住む者としては嬉しいことだと思います。松川の工場に実は7回しか行っていない賢治からすれば4回の宮城県営業は割合に多いでしょう。
この4回の宮城県営業を書き出すと次のようになるでしょう。
4/18-19 松川,小牛田,古川(仙台泊)
5/4-5 松川,仙台泊(仙台,石巻,河南町,小牛田)
5/10-12 小牛田,仙台泊,県庁,岩沼,小牛田,筑館(栗原市築館のこと)
9/19 小牛田,利府,仙台(仙台泊)
そして5/12に賢治は栗駒山の麓の「築館(つきだて)」に立ち寄っています。今日のテーマはその築館への賢治の行き方です。渡邊氏と賢治の築館へのルートを比べてみましょう。
二人の築館へのルート
宮澤賢治(昭和 6年)-「仙台駅-(東北本線)-石越駅-自動車-築館」
渡邊波光(昭和14年)-「仙台駅-(東北本線)-瀬峰駅-(仙北鉄道)-築館」
賢治のルートの取り方は孔雀印手帖の最後に「石越ヨリ自働車ニテ築館町 栗原郡農会」とメモがあります。

星 043-s
星の瞬く夜に

 すでに大正12年瀬峰駅から12㎞の距離で仙北鉄道が築館に伸びていました。
なぜ賢治はこの仙北鉄道に乗らなかったのでしょうか。仙台から来る場合は瀬峰からの方が楽ではなかったでしょうか。
 多分宮城県庁で聞いて,石越駅から車に乗った方がよいという助言を受けたのでしょうか。

 当時東北本線から支線として軽便鉄道が至るところで動いていました。花巻にも軽便鉄道が通っていました。鉄道への関心が高かった賢治が瀬峰から軽便に乗って築館に向かうという選択は十分考えられるものでした。

SeminefuganL.jpg
瀬峰駅から出ていた仙北鉄道

 しかし,そんな考えも及ばないほど賢治は疲れ切っていました。
 築館から松川の工場にも寄らず,家に帰ってから5月いっぱい賢治はまた寝込むことになったのでした。東京で9月に倒れる3か月前の話です。
950-174 85_660301_25-1瀬峰 1966.3.1
当時の瀬峰駅

21日の賢治祭,晴れるといいですね。

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