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清水眞砂子が語る

清水眞砂子 008s
9/29仙台文学館で「清水眞砂子と語る〈今〉の文学」と題された清水眞砂子氏のレクチャーがあって,それに出てきた。

 もう20年も前になるか,彼女の「子どもの本のまなざし」を読んで以来,ことあるごとに思いだし,今自分が生きている現実を引き受けるとはどういうことなのかという問いに自分なりに向き合ってこようとした。その試みは答えが出ないままずるずると生きながらえ今に至ってしまっている。
 どうも答えが出そうもない問いを自分に課してきてしまったが,清水氏はこのような自分の満足しない現実の中で,違和感も感じながら,格闘しながら這いずり回っている人が「ねずみ女房」のように鳩に乗って飛び立たなかったことを「自分の今の満足しない現実を引き受けて」あこがれとし,「そのあこがれのために,あんなに遠くの星まで見えるようになった」と言える自分になることは美しいことだと述べた。

子どもの本のまなざし子どもの本のまなざし
(1992/01)
清水 真砂子

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ねずみ女房 (世界傑作童話シリーズ)ねずみ女房 (世界傑作童話シリーズ)
(1977/03/20)
ルーマー・ゴッデン

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清水眞砂子 013s
 実際清水氏の話やその面持ちを知ると,私は唐突ながら女優の杉村春子を思い出した。なぜか昔の人の背筋が伸びた凛々しさのようなものを感じた。杉村春子はもういないが,こまつ座の旗揚げ公演(1984)だったかで背筋がしゃんと伸び,よく響く芯のある声に感心させられたことを思い出した。二人は年の差こそかなりあるが,どちらも戦前派でありお二人とも何か妥協しない強さというものを感じさせられた。それは戦前という時代の空気を吸った気概と言われるものかもしれない。
 「ゲド戦記」等,たくさんの翻訳をされている清水氏だが,翻訳の極意を目に見える氷山の一角だけをつなげても訳にはならない。水面下の氷山の隠れた部分を理解することと言われた。それはその通りだが,作品に対する真摯さや深い読みの姿勢は厳格そのもので,その清水氏の姿勢そのものが杉村春子を思い出させたのだと思う。

清水眞砂子 014s

何にも寄りかからず,毅然として自分の運命を引き入れて生きる強さを感じた。
清水氏はこう言った。
「生きる覚悟ができていない人がいます。この本読みました。あの本読みました。しかし読んだだけで自分のものになっていない人がいます。」
改めて,本を読むことは生き方を追究すること,現実を引き受けると言うことは命がけのことだが,失敗し,笑い,泣いて,へまをするのも人間。そういう人間とは滑稽な生き物でもあるが,あこがれを持ち,愛おしいものだ。

最後に子どもに合う本の選び方はという質問に答えてこう言った。
「子どもに合う本という考え方はしない。いい本は子どもでも大人でもいいのだ。」
全くである。

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