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宮沢賢治と労農党支部設立

岩井崎 001-2s
昨日の海から立ち昇る天の川の別バージョン(色温度違い)

岩井崎 026s
夜明けの岬への道

昨日も書きましたが,海から立ちのぼる天の川とコクガンを見て,その後北上川をさかのぼり宮沢賢治が勤めた東山砕石工場へ向かいました。今は石と賢治のミュージアムとなっています。この頃気になっている賢治と「労農党」のことを調べるためです。

一関 023s
ブラックライトを受けて輝く鉱物(石と賢治のミュージアム)

大正15年,昭和元年のこと。賢治は労農党(労働農民党)稗和支部が花巻にできるとき並々ならぬ尽力をしていたのではないかということを調べたかったのです。

一関 032s
陸中松川駅構内

賢治は労農党稗和支部の事務所探しをしたり,カンパや謄写版一式を贈ったりしていました。折りしも時代は治安維持法が出され,いよいよ第1回総選挙という時代でした。各県には特高が設置される中での賢治の動きは地人協会の存続にも関係する大きなことだったと思います。
実際後に昭和2年2/1,岩手日報に載った羅須地人協会について不穏な動きがあるとして目をつけられ,賢治は活動を縮小していく流れとなります。
賢治は赤か。すぐそういうレッテルを貼る考え方が今でも残っています。しかし,時代はどうやっても民衆のの声を聞く時代だったのです。地主や資本家の台頭,戦争での農村の疲弊化,天候不順による凶作など。
賢治が教師を辞めた後も農民の幸せを願わずにはいられない一つの行動として労農党支部設立は賢治の大きな足跡の一つだと思っています。

一関 035s
風童のお話-風の音を聞く道具-

本当に風の歌が聞こえるのです。


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