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永続寺という寺

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さようなら。ハクチョウ

伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンターの掲示板に書かれていました。

2014年3月20日時点

 ガ ン類     316羽
 ハクチョウ類    8羽
 カ モ類     564羽
 渡り鳥合計   888羽
もう一週間で4月になります。


さて,今日はお寺の話ですが,私の勤め先が登米市中田町加賀野にあり,風土記関係で加賀野に「永続寺」ありと載っています。現在加賀野には海蔵寺という寺はありますが,永続寺という寺はないのです。このお寺はどうなったのかという話です。

どうも明治の廃仏毀釈のときに神社に変わったらしく,永続寺が現在の八幡神社になったと直接関係者に聞いたことで納得がいきました。

仙台叢書には藩政時代の仙台領には21郡内村数千余,国中諸寺院1308ヶ寺,山伏修験の堂宇も加えれば二千余と記されています。
ということは一村に一寺,修験の寺一寺が割り当てられるほどの数だったということになります。


この宮城県北のおもしろいところは,修験の文化が強く残った場所で,特に羽黒系修験の活動の足跡が唯一辿れる場所ではないかと思います。
例えばその一端として,お神楽などが数多く残り,石碑,板碑も群を抜いて多いのが特徴です。



沼回り 361s
なにっ。何か用事?

加賀野の永続寺はその羽黒派の修験の寺だったわけです。
明治5年9月 修験道廃止令が出され,修験の人々は神官か,本寺や檀家のいた末寺に帰入するか,還俗するかを迫られました。
永続寺は閉じられ,八幡神社になったと思われます。

仙台藩だった宇多郡は福島県に,栗原,本吉,登米郡は宮城県になったので,数的には藩政時代の寺院数と比較できないかもしれませんが,明治10年の統計に依れば宮城県には1063寺の寺院があったと記されています。実に半分に減ったのです。そしてまた増減を経て昭和34年には903寺となっています。

永続寺もそんな廃仏毀釈の時代の嵐に遭い,廃止に追い込まれたのでした。

今は素晴らしい八幡舞の神楽で当時の力強さを感じるばかりです。

3月5日雪の朝 193s
春の光に飛ぶ

宮城県北の羽黒修験と文化とのつながりの重要性は,地域文化の向上や教育福祉の分野までも羽黒修験の人たちの影響を深く受けて育ってきたと言えます。その影響はいまだに講中や出羽三山参りとして生きています。

柳田國男などの考証を待つまでもなく,東北のこの地域が日本人の源像をいまだに色濃く残していて,その保存にかからなければすべて失われるというところまで来ていることを知って欲しいと思います。



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