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4/5伊豆沼の朝-折口信夫の人柄-

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4/5伊豆沼の朝

一日半も続いた雨が上がり,桜のつぼみが大きくなりました。
桜前線も福島に入ったようです。仙台での開花予想が4/10です。


伊豆沼朝 059s
荒れる前触れ

それで今日は折口信夫の逸話を見つけたので紹介します。
載っている本は今取り寄せているところである読書のコラムからの引用になります。
昭和20年7月26日、内務省5階の情報局講堂で戦意高揚の啓発宣伝を組み上げるため、文化芸能団体の協力を要請する会合がひらかれた。日本の敗色は濃厚だったが、最強硬派の陸軍は本土決戦を控えて文化人や芸能人の戦意を確認しようとしていた。
会合では啓発活動実施要領が配布され、久富達夫情報局次長の挨拶、今井一二三総務部長、栗原悦蔵報道部副長、井口貞夫情報局第三部長、下村宏情報局総裁の訓示が続いた。質疑応答では公論社の上村哲彌社長が机を叩いて檄をとばした。上村は大東亜研究所の阿部仁三らとともに当時の国内言論を牛耳っていて、陸軍の意向を代弁していた。
この発言に異を唱えたのが折口信夫だった。
当日、折口の隣りの席に座っていた高見順が『昭和文学盛衰史』(筑摩叢書)にその模様を記している。「そのとき、私の隣のひとが静かに発言をもとめる手をあげた」と書き、そのときの印象を加えている。「誰だか知らなかったが、見るからに温厚さうなひと」が「言葉こそおだやかだけれど、強い怒りをひめた声」で、「安心して死ねるやうにしていただきたい」と言ったというのだ。
上村が「安心とは何事か」と気色ばんで詰め寄ると、折口は「己を正しうせんがために、人を陥れるやうなことを言ってはなりません」とたしなめた。高見順は、この折口の発言に「はっとした」「民を信ぜよといふ声を頭から押しつぶしたことに対して、そのひとは黙つてゐられないというふうだつた」と書いている。


「己を正しうせんがために、人を陥れるやうなことを言ってはなりません」
この言葉は痛快である。

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内沼の朝

岡野弘彦は折口信夫が死ぬまで付き添った人だ。
会った瞬間に(この人は違う)と思ったそうだ。作品はもちろんのこと,折口信夫という人の生き様にふれて,付き添ってすべてを吸収していきたいという岡野の直感は正しかった。昔はこういう師と仰ぐ人に弟子入りするという素晴らしい教育がなされていた。丁稚奉公とかや別な社会に入り込んで生で自分の人生をつくっていくという文化はあまりにも標準化された学校教育の中で失われてしまったかのようだ。


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