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川をさかのぼる-放哉と漱石-

嵯峨立2 422-2s
膨らんだ川(北上川岩手・宮城県境付近4/6撮影)


川の真ん中を   草花流る     尾崎放哉

雨の後の川は膨らんで胸に迫る。
人を不安にさせる。
その中に自分は一人で岸に立っている。
見れば膨らんだ川の真ん中を色とりどりの草花がもみしだかれながら流れていく。

人は何かあるたびに水辺にたたずむ。
水辺に立つということは自分では解しえない現実の脈絡もない筋書きを水という鏡に他人事のように写し出すためである。人は,川や海が人の心を写し出す「鏡」となることを知っているからだ。一人つぶやきながら,水にもう一人の自分を語らせる。

よく見れば花を満開につけた木一本がまるまる流れているではないか。
川の真ん中に濃い紅色の花を満開につけた木が立っているようだ。
素晴らしい速さで流されていく満開の桜の木は
沈み,持ち上がり,逆巻く水にたださらされて
流されていく。


嵯峨立 072s
ツグミ

渡辺義雄から高浜虚子に大正4年1月に送られた手紙の最後のことばに「ツグミではないから安心して食って下さいませ。」という言葉がある。
二人は大正3年春に,松山の漱石の家で偶然に会ったようです。
どあしてこんな言葉で手紙がしめくくられているかというと,夏目漱石がつぐみの焼き鳥を食べて,胃潰瘍を再発させ,結果的に死んでしまったという噂があったからです。

「漱石氏と私」を書いた高浜虚子がその中でこの手紙を取り上げていたのでした。この文の意は山鳥を送ります。漱石はつぐみの焼き鳥を食べて,胃潰瘍を再発させ,結果的に死んでしまったという噂がありましたが「ツグミではないから安心して食って下さいませ。」という意味になります。

ツグミの焼き鳥はうまいのかしら。



嵯峨立 013s
随身

神社の急な石段を登り切ると山門があり,その両脇に随神が安置されている。
守り神という意味だろう。修復はしているが,長年の雨風にさらされてきた神は
表情は穏やかだが半眼の眼光だけが鋭く輝いている。
その眼にこの数百年の間にどんな光景が写ってきたのかと思うと
ものを知らなさすぎる自分がうらめしく思う。

その思いのまま川を辿り続けた。


4/15は皆既月食。
月の出は18:16。食の終わりの月が月出帯食となっています。(その記事は こちら )


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