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陋習(ろうしゅう)を病(や)む

リコーダー講習会 406s
春の底に霧渡る

一人でまだ雪深い山を歩いていると,身体の奥底から突然湧き上がってくる言葉や映像にとらわれてしまうことがあります。
大体が他愛もない言葉だったり,どこかで見た景色だったりして忘れてしまうのですが,今日のタイトルの「陋習(ろうしゅう)」という言葉も,先日ある湿原に辿り着こうとして迷い始めた時にふと湧いて出てきた言葉です。「陋習(ろうしゅう)」という言葉を発音してみるだけで,あまりよい言葉ではないなと思いながら心から離れずに下山までくっついてきた言葉でした。

家に帰って調べてみたら,「陋習(ろうしゅう)」とは,悪い習慣とかよくない習わしとかそんな意味で,「やっぱり」と思いました。悪い習慣だらけの自分を語る言葉が自分のどこからかぽっと生まれ出たのでした。

リコーダー講習会 415s
ブナ林に遅い春

目的地の湿原は夏道がすっぽりと雪に埋もれ,林の木々に隠れてわかりません。ほとんど傾斜もゆるやかですから実に迷いやすいのです。毎年この時期にここに入り,迷わずに辿り着いたことがありません。積もっている雪につられ,あちらに行ったり,沢に誘われたりしてルートを失ってしまうのです。ええい。ままよと歩き続けてかえって深みにはまって夕方薄暗くなってやっと戻るという危険な状態にもなったことがあります。以来気を付けて歩くのですが,やっぱり迷うのです。地形の変化が乏しいので自分の感覚の,それこそ「陋習(ろうしゅう)」に従ってひどい目に遭うわけです。これが先日もそうで多分また迷ったなという不安感からか心のそこから「陋習(ろうしゅう)」という言葉が湧いてきたのでしょう。

まず歩いていての自分の「陋習(ろうしゅう)」は,歩きやすいルートをとってしまうことです。雪が広く残っている筋に沿って歩いてしまいます。これはかすかな尾根を辿っているだけですから,やがて雪はやぶの中で消えてしまい,戻ることになります。そこで,雪伝いに下りて沢沿いに目印を探しますが,やはり複数のかすかな沢が幾重にもひだのようになっていますからまた戻ることになります。さらに深みにはまらないように来た足跡を忠実に辿って戻りますが,今度は前に迷ったルートの足取りをまた辿ってしまうのです。

リコーダー講習会 756s
ミズバショウの目覚め

ただの感覚で歩くという「陋習(ろうしゅう)」に病んで同じ失敗を繰り返すということはやがては遭難を引き起こすのだよという教訓をこの湿原探しで何回か味わってきました。いつも安心して通れる道だけを歩いてきた自分の,道がないときの地形をきちんと読みながら歩くという慎重さが必要です。そして戻るときのことを考えた目印やポイントポイントでのコンパスと地図との確認作業を怠らないこと等の歩き方を身に付けたいものです。

日常に慣れすぎた私たちの感覚は自然の中では「陋習(ろうしゅう)」に過ぎないのです。感覚の自由を標榜するなどと芸術的に簡単に言って失敗してはいけないのです。感覚の自由を語るならば感覚の鍛錬が必要で,その感覚の幅や深度をいつも保てるようにすることが大切なのでしょう。


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