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ブナ林の夕暮れ-生命体カメラ「わたし」-

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ブナの林の夕暮れ-なぜだか少し急ぐ気持ちになる-


白色光を映し出すプロジェクターの光源の前に青いセロファンを2・3枚貼ってみる。何色に見えるか。白色光の光源の黄色い光は青に遮られて緑色に見えてくる。ところが青いセロファンを10枚も重ねると光は灰色に曇ってきて,さらに2・3枚重ねると,色はふいに血のような赤色に変わるのである。
このセロファンを黄色に変えて同じようにしても光源の色はある段階で赤に変わる。どのような色を置いてもである。

これは荒俣宏の「図像学入門」の12章「ゲーテ的な写真」に載っているのだがおもしろい。

私たちは普通三原色は赤,緑(あるいは黄),青と習ってきた。原色だから混ぜても作れない色だ。しかし青でも黄でもどんどん濃くしていけばある時に赤が忽然と現れてくる。実はこれと同じようなことに気付いていたのがポラロイド写真の発明者エドウィン・H・ランド博士だそうだ。わずか2色だけの混合によってほとんどすべての色が出現するカラー写真のシステムを発見していたのです。この二色法はテレビでも話題に上がったらしい。

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夕暮れ-横からの光が新たな陰翳をつくりだす-

藤本佳志に依ればと荒俣は続ける。この二色法を説明できたのはゲーテだと言う。
ゲーテは白色光はあくまで白色光に過ぎずこれにプリズムや闇(影)が作用して色彩が生ずると言ったのだ。ニュートンは光は色の束だと言ったことと真っ向から衝突してしまう。

色は最初から光の中にあるのではなく,光と闇の重なりやグラデーションの中から生じてくる。それをさっきのプロジェクターの実験で考えると赤は「高まった青」「濃くなりすぎた青」と表現できる。
濃度ないし暗度を高められることにより新しい現象,赤味を帯びることになる。この赤味はもともとの青と黄がもはやその中に認められないほど高進させられ「色彩論」
実にゲーテは言い当てていたわけです。

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ブナ林の夕暮れ-横からの光が新たな陰翳をつくる-

これは人間の脳の中で色彩は調和しようとして様々な補色や,対照(コントラスト)を生み出している事実があるのです。だから動物ではこの補充作用が行き渡れば色盲でも大丈夫と考えることが出来るのかもしれない。実に自然も生き物も巧妙にできているものです。われわれの目はカメラ以上に優れた万能なレタッチソフトを同梱していたわけです。生命体カメラ「わたし」は,自ら映ったものに補充して色を新たに与えたり,意味を解読するように仕組まれています。それはすべてゲーテのこの言葉に集約されています。

「調和に向かって」

ピンホール 134sピンホールカメラをつくって写した昨日の日没

レンズはあまりにも光を集約しすぎ,補正しすぎることも事実かもしれません。強調しすぎてもいけないのかも。機械にばかり頼ってもいけないし,ただ刺激的な強調しすぎな写真になることも程ほどにと思わせる写真もありますよね。
そこで空気の色を写したいと思ったのでした。

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