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アテルイ栗駒山を越える-「火怨」781年-

虹 535-2s
赤川峡谷に架かる虹(6/8撮影)

アテルイと言えば,中央政府に東北の意地を見せた蝦夷の国の英雄と呼ばれています。
アテルイは「阿弖流爲」と書き,歴史史料に二回だけ登場するだけで詳しいことは分かっていません。アテルイの本拠地は岩手県の東和と言われています。高橋克彦の「火怨」はこのアテルイの一生を描いた本です。

この本の「震動」の章の「六」に2500頭の馬を100人余りで東和から栗駒山を越えさせ,宮城県の鬼首に移動させるということが載っています。栗駒山好きの私としては書かないわけにはいきません。

火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫)火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫)
(2013/02/08)
高橋克彦

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まず本の中から栗駒山をどのように越えたかというルートをつくってみました。
日付は天応元(781)年四月中旬となっています。今の暦ですと781年五月下旬頃に当たるでしょうか。栗駒山はまだ多くの雪が残り,ブナがようやく葉を広げ出す季節でしょう。残雪を踏みしめての行軍です。

作品中では「ここから下りだ」とか大まかにしか書いていないので特に下りのルートは予想になってしまいます。

アテルイ栗駒越えルート
アテルイ栗駒越予想ルート
簡単に表にしてみましょう。
 
順序地点宿泊
1東和を出る
2金成山
3衣川
4衣川から支流南股川沿いに遡行
5磐井川に合流
6祭畤(まつるべ)に着く
7磐井川を遡り笊森へ(多分真湯温泉から笊森ルートで山に入った)
8栗駒山越えて鬼切部(鬼首)へ真夜中に着く
この下りルートが不明。世界谷地からか,湯浜温泉からか

7まではかなり信憑性があると考えられますが,山越えのシーンは広い高原状の地形で風雪強く,視界が効かないという描写です。このように書いてあります。下りで迷うシーンです。
五・六間四方しか見えない。案内を送り,調べさせた。
やがて案内が戻ってきて,二人ずつ十五間ごとに一人ずつ置いて誘導させた。

梅雨入りs
霞む峰々(6/8撮影)

風の強い栗駒山の天候の特徴を生かした書き方です。
とにかくも馬2500頭と人100人余りは無事に鬼切部(鬼首)に真夜中ながら到着することが出来たのでした。めでたし。めでたし。

無事栗駒越えを終えた19歳のアテルイはこう言います。
「栗駒山,やはり並の山とは違う。二度と越えたくはないな。母礼(もれ),俺はやり遂げたぞ。」

アテルイはそう言って晴れた夜中の空の星を仰いで胸に呟いた。

そこで最後にアテルイが祭畤(まつるべ)で入った露天風呂で見た星をステラナビゲータで再現してみました。
781年5月23日の星空です。


祭畤の夜7810523
祭畤(まつるべ)の夜 西暦781年5月23日の夜

天の川が昇り,射手座には明るい土星が輝いています。
月は真夜中11時過ぎに月齢19の月が昇ろうとするよるでした。
今から1233年前のことでした。

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