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栗駒山世界谷地-馬草お助け小屋について-

世界谷地 277s
秣森お助け小屋跡の看板

先日栗駒山の今年の世界谷地のニッコウキスゲはどうかなと見に行ったときのことです。
入れなくなっていた第2世界谷地の迂回路となっている秣森の下の道を通っていたとき「秣森お助け小屋跡」という道標を見付けました。どうやら今年になって打ち込まれた新しい杭でした。地図で言うと白い矢印の所です。

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秣森お助け小屋の位置(地図と航空写真を組み合わせました)

まず思ったのが本当にこの場所でいいんだろうかという気持ちでした。
確かに昔の本に「馬草お助け小屋」の記述があり,現在の秣森のふところだと書いてあります。

世界谷地7.1 098-2s

例えば栗駒山のことが書かれている慶応三年の 『陸奥紀行』 秋田川連漆器屋 佐賀恵屋恒蔵には
二月十日
 田代お助け小屋 出発

 小屋の後ろに冬越えという峠があった。下って行くと・・・赤沢(赤川沢)という沢・辺りを鍋越台地と申していた・・・ぬかまつ原・下って行くと・・・九万沢(熊沢)・(小安より四里)・・・孫小屋という峠を登った=一番高いところ・・・三本ぶなという原・・・腰抜沢という下りあり・・・大日沢という下りあり・・・向かいの方に大日森という高いの麓をとおり・・・から堀沢・・・八っ頭という下りの原あり(おお小立)・・・馬草にお助小屋・少し行くと・・・マコニ坂という坂、その陰が・・・前坂に大きな小屋あり。前坂のお助け小屋(泊まり)
と書かれていて田代お助け小屋からの道のりが記され,八っ頭という下りの原は現在の世界谷地のことです。「馬草にお助け小屋」とあり,少し行くとマコニ坂(継子坂ままこ坂とも言う)という坂があって前坂の大きな前坂お助け小屋になると書かれています。
  
世界谷地 486s
栗駒古道(この世界谷地に続く道も昔は栗駒越えの街道でした)

秋田側から来ると小安温泉を出発して,昔の県境の田代お助け小屋-赤沢-熊沢-そして現在の湯浜温泉から世界谷地に抜ける広大なブナ林を進み小桧沢を横断-大地沢を越えて大樹(大地)お助け小屋-昔神や鳥居のあった変則十字路(現在ベンチがある)-世界谷地-馬草お助け小屋-継子坂-耕英万坊原原-前沢お助け小屋-当時の栗駒山の登基地である冷沢-木立お助け小屋(木立陣屋敷跡)と続いていたと思われます。

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世界谷地1月

さて馬草小屋がどんな所にあったのか,どんな様子だったのかという記述を探すと「上遠野秀宜栗駒山紀行」にあります。上遠野秀宜が栗駒山に登ったのは文久二年(1862)旧暦の7月19日から22日までの3泊4日の旅でした。宮城県側の桑畑栗駒ダムから羽後岐街道がある尾根に登り日影森下を通過して,木立お助け小屋-冷沢お助け小屋-馬草お助け小屋-先程の変則十字路-御沢-御室-栗駒山というルートを取ったのです。

上遠野秀宜は馬草お助け小屋を通ったのです。

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ニッコウキスゲ咲く夜の世界谷地
これより馬こその小屋と申すは十丁ほどの山の奥にて御山よりは/十五六里もへたちたる人跡たえて鳥の声も/なくかやにてふけるあやしの小屋のうちにかしきの品々/見えたるは人たすけの小屋ゆゑ人の住むとはみえたれど/ものとひとこたえもせずかけひの水はとふく流れて/軒端より草ふかく峯に残れる雪のあるゆゑか風さへ/しみじみと冷たくて御山は見上げるほどに高くみえたり/行きなやむ人をしばしのなさけにて/たすくる草の庵なるべし/この小屋の五六丁ばかり行て秋田路とふたつにわかれ
とあるように鬱蒼と繁った木々の山の中にあった小さな小屋のようです。秀宜が声をかけても留守だったようです。ただ沢から汲んで流してある軒端の筧の水の音ばかりして森閑としていました。

世界谷地 563s
馬草お助け小屋の近くにあった三本の杉
以前,この馬草お助け小屋がもっと南にあったという地図を見ていたので第2世界谷地の近くでいいのだろうかと思いましたが現在の駐車場付近なのか,第1湿原入り口付近なのか,第2湿原入り口付近なのか確証はもてませんでした。いずれにせよこの近辺だと言うことは確実になったようです。

この馬草お助け小屋に続く古道はホトトギスが満開の明るい路になっていることでしょう。
台風8号が去った後にまたゆっくりと歩いてみたいものです。

上遠野秀宣栗駒山紀行―幕末、山を目指したサムライがいた!上遠野秀宣栗駒山紀行―幕末、山を目指したサムライがいた!
(2008/12)
深野 稔生

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