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一関図書館オープン-田山花袋『蒲団』再考-

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オープンした一関図書館

こちら伊豆沼は宮城県北部です。岩手県との県境に接しているといってもいいでしょう。
むしろ仙台に出るよりも近いので一関に出かけることが多いのです。
その一関で図書館がオープンしたということで早速昨日7/26に行ってみました。素晴らしい図書館に生まれ変わっていました。
一階は駐車場になっていて入り口を入ると交流スペースや学習室が取られ,カフェジャーナルという喫茶店脇の階段を上り図書館に入ります。
左側に児童図書関係,そして総合カウンター,右側には本棚が広く50m?奥まで並べられています。とにかく広々としています。しかし,あんなに本が並んでいるのに開架図書が64000册だそうで,蔵書数の1/4程度なのです。

ちなみに東北地方の中での岩手県の図書館のデータを見ますとなかなかです。(データは「データで見る地域 都道府県-公立図書館の人口100人当たり蔵書数-」参照)
都道府県
公立図書館の人口100人当たり蔵書数  県立図書館の住民1人当たり資料費(円)
青森県     248.7                      42.7
岩手県     321.6                      30.8
宮城県     222                       20.7
秋田県     290                       37.3
山形県     261.4                      24.3
福島県     252.9                      21.8
ところで私の住んでいる登米市はというと図書館3館で蔵書数が74576册,全国で最下位に近いところにいます。100人辺り蔵書数は89册で歯牙にもかかりません。情けないです。

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入って右の階段を上ると図書館

図書館の質は民度をそのまま反映していると思います。一関市がうらやましいです。宮沢賢治が勤めた東山砕石工場がある東山町も一関市に入っており,ここにも貸し出し無制限という新しい東山図書館があります。恐るべし一関市の文化遺産。

ところで今日は久しぶりに本について書いてみたいです。それも田山花袋の『蒲団』についてです。

ことの起こりは柳田國男から来て,柳田國男と仲の良かった田山花袋という流れです。先日7/19「会員章67番の柳田國男と日本山岳会」という記事を載せました。当時,柳田國男の家にたくさんの友達が集まっていて,やがて「龍土会」という会に発展していくのですが,この最初のメンバーに田山花袋がいるのです。
田山花袋の年譜を見ますと,「明治24年(1891)冬,松岡(柳田)國男と知る。」と書いてあります。田山花袋が20歳の時です。花袋が尾崎紅葉の門を叩いて弟子入りした年です。柳田は17歳でした。二人が知り合うきっかけは,どうやら花袋が歌を習っていた「桂園派の松浦辰男」のところに柳田も入るきっかけ辺りではないかと思われます。
とにかくも花袋は鷹揚な性格で人をそらさない話し好きな点が終生柳田との縁を深めることになったのでしょう。

「龍土会」のことは調べるとまた尽きせぬ面白みがありますが,この「龍土会」をよくお世話していたのが国木田独歩でした。
この辺から花袋の『東京の三十年』という作品からなぞってみます。
麻布龍土町の龍土軒には誰が一番先に行ったか恐らく蒲原有明君か,でなければ平塚篤君か,この二人であると思う。そして二人が國木田君を其処に引っ張っていった。
そしてここに武林夢想庵,薄田泣菫,國木田独歩,学生だった小山内薫,柳田國男,正宗白鳥といるのです。そして毎回メンバーが入ったりして,雑談会にいたメンバー,江木翼,小諸から上京して島崎藤村,中澤臨川,小栗風葉,柳川春葉,生田葵生,川上眉山,水野葉舟,小島烏水等も入り乱れるようにして入ります。岩野泡鳴,戸川秋骨,前田晁,吉江,片上と「自然派の文芸は龍土会から生まれた」と言われるほどになった。

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伊豆沼の夕暮れ

さて,31歳の花袋は明治35年に「重右衛門の最後」を書いて,柳田は激賞します。そのうちに同い年の島崎藤村は「破戒」國木田独歩は「独歩集」を出し,その名声が定着します。花袋は「私は一人取り残されたやうな気がした。戦争には行って来たが作としてはまだ何もしていない。」と焦りもします。そこへ原稿依頼が来たのです。いよいよ「蒲団」の誕生です。多くの逡巡をしながらもなんと10日で脱稿したのです。

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日本海に下りる太陽

『蒲団』は最初誰もが女弟子の寝間着や蒲団に顔を埋めて泣くラストの時雄の女々しさにあーあと溜息をついてしまうでしょう。私もそうでした。あの小説の一体どこが名作なのかとも思いました。人はそんな部分の印象だけで片付けてしまったりする読み方もするのです。そこで今日もう一度『蒲団』を読み直してみました。そしてその五年前の『重右衛門の最後』と比べ,恋に巻き込まれて千々に苦しむ主人公時雄を生み出す花袋の殻を破ろうとする,その実験性に肯けるものがありました。明治40年にこれを書けるという自由が花袋にはあったということです。センセーショナルであったことは当たり前でしょう。誰も書き得なかった作品を彼は書いたのです。『蒲団』は女々しさだけですまされるような作品ではありません。俗にある情痴小説のような破滅,逃走など一切ないのです。どこにもでたらめさがないのです。物語は極度の緊張を伴いながらラストまで張り詰めています。それは体面や組織や世間体というものにぎゅうぎゅうに縛り付けられた個人というものが,自然体の感情として生きることの難しさを突いています。去っていった女の残り香を吸いながらその蒲団に顔を埋めて泣くという行為が女々しいにもかかわらず,そうした女々しさだけでかろうじて体面を保とうとする人間は何なのかを花袋は表現してしまったのです。
『重右衛門の最後』は重右衛門を不具者として据えることで自然の発展と人間の成長との違いを明らかにしましたが,『蒲団』は不具そのものを私たち自体が内面に抱え込んでいることを示したのです。

伊豆沼 489s
咲き誇るユリ

さて世に出た『蒲団』はどう評されたのか。
花袋自身が『東京の三十年』の中の「私のアンナ・マール」で次のように言っています。
小栗風葉「君の眞の才をみたような気がした」
前田「読みましたよ」と言って変な不思議な表情をして私の顔を見た。
いくらか反対の立場にあった『明星』は半ば嘲笑的半ば反抗的な合評をした。
『早稲田文学』の合評では評判が好かった。
柳田國男「あらずもがな」という顔をして,何一つ話さなかった。
生田葵生「やはり甘いよ」
國木田独歩「だって甘いったって仕方がないさ。花袋君の恋はああいう恋なんだから。兎に角甘くっても何でも,徹底だけはしているサ。」


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