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新・遠野物語ーあらゆる生き物とー

遠野 019s
ネコを入れるえんつこ 遠野博物館

ネコを入れておくえんつこ(えじこ)は初めて見ましたが,このようにネコにもおもいやりをという昔の東北の人の暮らしは実に自然や動物と共にあるということを感じさせる。それが遠野物語の中に大きな流れとなって残っている。

私が小さい時には農家に入るとまず右側に馬の部屋があったものだ。
こんにちはと呼んでも友達もいない。家族で農作業に出ているのだ。しんと静まり返った友達の家をのぞき込むと馬が起き上がってくる。馬はしっぽを振ってこちらを見ている。やがてまた家の中がしーんと静まりかえると,今度は中二階から蚕が葉を食べる音がしてくる。

人間と動物とが生活の中で密着している。まさに遠野物語でのおしら様の話は最も有名な話(第69話)の一つで,馬と人間との交流の話です。
今の土淵村には大同と云ふ家二軒あり。山口の大同は当主を大洞萬之丞 (おおほらまんのじょう)と云ふ。
此人の養母名はおひで、八十を超えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり 。魔法に長じたり。
まじなひにて蛇を殺し、木に止れる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せて もらひたり。
昨年の旧暦正月十五日に、此老女の語りしには、昔ある処に貧しき百姓あり。 妻は無くて美しき娘あり。又一匹の馬を養ふ。
娘此馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、終に馬と夫婦に成れり。
或夜父は此事を知りて其次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につ り下げて殺したり。
その夜娘は馬の居らぬより父に尋ねて此事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に 行き、死したる馬の首に縋りて泣き居たりしを、父は之を悪(にく)みて斧を以 て後より馬の首を切り落せしに、忽ち娘は其首に乗りたるまゝ天に昇り去れり。
オシラサマと云ふは此時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にて其 神の像を作る。
其像三つありき。本にて作りしは山口の大同にあり。之を姉神とす。中にて作 りしは山崎の在家権十郎と云ふ人の家に在り。佐々木氏の伯母が縁付きたる家なるが、 今は家絶えて神の行方を知らず。末にて作りし妹神の像は今附馬牛村に在りと 云へり。
佐々木喜善の『聴耳草紙』に依れば,この後、天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼うことを教え、絹糸を産ませ、それが養蚕の由来になったとある。以上の説話から、馬と娘は馬頭・姫頭2体の養蚕の神となったとも考えられています。
オシラ様はこのようにして蚕の神様にもなりました。

遠野 119-2s
遠野 伝承園

遠野物語に出てくる動物は題目だけ見ても,馬,猿,狼,熊,狐,鳥など多種に渡っています。動物と人間が様々な交流を繰り広げる昔話は数限りなくあります。それを只のフィクションとして片付けたり,只の子供に聞かせるの話と片付けるとつまらなくなりますが,話のそこここに横たわる昔の人の考え方や,自然のとらえ方の特徴としてとらえれば遠野物語の価値も現代では増してくるというものです。汎神論という考え方の奥に何が流れているのか。人間があらゆる生き物と同価値と考える自然思考を未来への思考に無形世界遺産として残す余裕は人間にはないのでしょうか。


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