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10/20霧の伊豆沼-折口信夫の「たましひ」-

霧の朝 181-2s


10/20霧の朝

今朝の伊豆沼は深い霧に埋もれて視界50m程で,太陽は顔を見せませんでした。
夜半過ぎまではそれは美しく星が輝いていたのです。

さて今日は久しぶりにお話がしたいと思いました。
ご存じのように日本人は四季の移ろいの中で暮らしてきました。太陽に,月に,花に,風に,その季節を感じて詩歌に,手紙に,作品に,つつましく己の気持ちを乗せて愛でてきました。
それらの四季の変化は稲や草花が芽を出し,動物も同じく生まれ,やがて生長し花を咲かせ,実を結び枯れるという生きものの生と死のステージが日本人の考え方のベースにありました。人の生き方も同じことです。この世に生を受け,成長し,子どもを育て,やがて老いていく。実に自然の移ろいがそのまま人の思想にシンクロしていたのです。変わらぬ四季の変化を美しくもたらす力。すべての生き物をはぐくみ,大きく成長させ,大いなる恵みをもたらすもの。それは豊穣の神でもあるとも言われたりもしました。
実は「たましひ」と言われるものも,まったくこの自然の摂理と同じ運動をすると言います。

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晴れた朝 内沼 10/12

私たちが生を受け,天上から幼きたましひが宿り始める。私たちはその「たましひ」を愛おしく大切に育てることが大切です。たましひは素直でうつろいやすく,また穢れやすいとも言われていました。はかなくたよりないものであるんです。やわらかくて外圧に弱く,そのくせしなやかでもある。日本人はその「たましひ」を「心もち」とも言いました。自分の中にその移ろいやすい「たましひ」を落ち着かせるためにたましづめの儀式をを行い,また増えたすがすがしい「たましひ」を人に贈る,人に贈ったたましひが長く附着させられるようにする。死んでも美しく穢れのない「たましひ」を呼び戻す,これが鎮魂の儀式でもありました。
このようなこころもとない人間の身体に美しく健気な「たましひ」はやってきて私たちに宿り,少しずつ育つ。私たちは少々弱くても,皆そのたましひを心やすく受け入れ,生き続けるのです。そしてさらに「たましひ」を清らかに,たくましく育て,殖やしていくのです。
日曜内沼 605s
「ちょっと。かっこうよすぎじゃない。」

「たましひ」はただ放縦に育つわけではありません。その人の新しい反省と美しい世の中を望む心が必要なのです。歴史上己の感情だけで判断して,それをまことしやかに「公憤」としてすり替えて争いにしたことが何度あったでしょうか。
折口信夫はこのような清らかにたくましく伸びるたましひを育てるには一人一人に「道念(モラルセンス)」がなければいけないと言います。道徳のことです。しかし,折口信夫は
古語の「まこと」とは個人が神に誓ったことばに対する責任を重んずるという意味であって,個人が道徳的責任を負うという意味ではない。
と言います。自分自身はできるだけの努力を行いながら,失敗することもある。人間とはそんな少しもろく,弱い面もある。だから新しい反省を行い,また生きる。道徳的な責任は上位の方(神)に任せるという点があります。

日曜内沼 634s
ガンも間近で見るとかわいい

わたしはこのような本来の国学の考え方に共感します。
実は国学という学問が明治維新の廃仏毀釈や国家神道との流れで歪曲され,天皇と結びつき,戦争のためのプロパガンダになってしまったのでした。折口信夫はそんな時局の流れに歯ぎしりしながら,新しい日本人の宗教としての国学の可能性を探し続けました。


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