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橋の上から-栗駒小安峡-

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小安峡の橋の上から

11/4の栗駒道路の閉鎖前になんとか最後の栗駒の姿をと思って出かけたら,「積雪のため通行止め」という看板。
ショックでした。これで須川温泉側からのアプローチは来春までできなくなったということになります。
そこでそのまま秋田側に下りて小安峡の紅葉はもう終わっただろうなと思いながら行ってみました。

この小安峡というところは実に深い谷の絶壁が続き,至る所で周囲から流れ落ちる滝が随所に見られる場所です。

さて,今日は休みですから,また一週間うつらうつらと考えたことなどをお話します。
また出たかとお思いの方もいらっしゃるでしょうが,どうも性分ですのでよろしくお付き合い下さい。


斎藤茂吉が折口信夫の歌を評して
「君の今度の歌は、なんだか細々しくて痩せて、少ししやがれた小女(をんな)のこゑを聞くやうである」と皮肉ったことは有名な話です。それに抗して折口信夫が茂吉の大らかな歌いぶりを「ますらをぶり」ばかりが歌の本意ではありません。むしろ「弱さ」を感じさせる「たおやめぶり」こそ私の本意がありますとやり返しました。

折口は「源氏物語」が「人間が大きな苦しみに耐え通していく姿と,人間として向上していく過程」を描いた日本文学史上希有な作品であり,「中世における日本人の最も深い反省を書いた反省の書」と位置づけています。これは人間の本質を〈弱さ〉と見ていると言ってもいいでしょう。しかしこの〈弱さ〉は決していきり立って猛進する姿とは正反対でありながらしぶとく,あきらめることのない勤勉で素直な日本人の良さを言い当てているといってもいいでしょう。

むしろ日本が戦争をするようになってからの競争指向の教育の弊害がいまだに続いているような気もします。そこでそれらの社会的なシステムという巨大で強大な締め付けに対抗するのではなく,部分に個性を表したり,断片的なものにこだわりをもつことで社会の中で滅せられていく自分の生き方を模索していこうと考えることはできないでしょうか。

そうした〈弱さ〉という曖昧でありながら,はかなく,ものが断片的でフラジャイルな,もろく心許ないものですが,それらのもつ細心さはまるで蝶を手のひらでやさしく包み込むような技法によって成立してくる世界構造。またはかすかな声や音を聴こうとして周囲に気配る技法で絆を見いだそうとする技法によってのみ見えてくる世界。

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橋の上から振り返って見て

中勘助の「銀の匙」という物語には小さな子どもが背伸びして,大切な物がしまってある引き出しをなんとか開けて,届く指先だけで秘密の世界をまさぐる場面が出てきます。私には子どもの指先に集中された世界への果てしない好奇心がよく分かります。人にはその人にしか理解できない仕方で生きていくしか仕様がありません。その方法を,その人の思想と言ったり,イデオロギーと言ったりもします。

か細いようでしなやかで,固くなくても柔軟な考え方。
これを松岡正剛は「フラジャイル」にまとめました。

フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)
(2005/09/07)
松岡 正剛

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私はフラジャイルという考え方は,秘密のおもちゃ箱の中を覗くような,宝石箱のようなきらめいているひそけさを思い起こさせます。しかし,おもちゃ箱の中のものは小さくても世界の中で一番大切な物ですし,宝石箱の中のものは太陽のように大切なものです。これらのおもちゃ箱も宝石箱もなんら普遍性があるものでも文化遺産的な価値があるものではなく,かえってそれらの対極にあるものたちです。それらは〈弱さ〉ですが,なくてはならないものです。

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橋の上から下を見下ろす


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