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雁の話-中勘助「鳥の物語」-

「つぎは雁の番だった。」
と始まる中勘助の「鳥の物語」の第一話が昭和七年四月七日とあり,第十話目の「かささぎの話」は昭和三十八年一月二十三日とある。実に30年以上もかけて十の話「鳥の物語」をしつらえたのでした。

「雁の話」の雁は紀元前の中国漢の時代。その時代から二千年以上にもわたって雁は渡りを続けているのです。

日曜内沼 633-3s

彼らは二千年前からどんなルートをとって渡ってきていたのだろうか。やっと解明されつつある記録から見ると下のような図になります。マガン達はロシア極東のチュコト自治区のマイナピルギナの北西30kmくらいにあるヴァーマチカ湖周辺でで繁殖して渡ってきていることなどが明らかになってきています。そして日本に来るルートと中国に入るルートがあるのです。

マガンルート
漢の時代の中郎将の蘇武(そぶ)は,天漢元年(紀元前100年)、蘇武は中郎将として匈奴への使者に任じられました。その蘇武は捕らわれの身になります。爾来匈奴へ降りることを拒み続け,19年間にもわたって彼は拘束され続けます。食べ物もない中,羊飼いをさせられ,よろよろと倒れたところを雁に助けてもらうのです。息を吹き返した蘇武は雁に身の上話を語って聞かせます。
「もう十九年になる」と蘇武が語りだした。「そのときわしは漢の使いとしてこの匈奴の国へきた。ところがわしは自分のあずかり知らぬ他人の小策のために禍(わざわい)を受けて匈奴の辱めをうけるようなことになった。わしは今ここで節を屈してはなんの面目があって漢の国へ帰られようと思って佩刀で胸を刺して自殺をした。ところが彼らは穴を掘ってその中に火をおこし,わしをそのうえにうつぶせさせ,背中を踏んで血を出してまた生かしおった。」
蘇武は匈奴に降った衛律や李陵そして匈奴の君主単于の説得にも耳を貸さず,節を曲げることなく囚われの苦渋に耐え続けていたのです。
単于は言った。「お前にこの雄羊をやろう。この雄羊が子を孕んで乳を出したら(漢に)帰してやろう」
雄羊が子どもを生むことはありえないことである。彼は終身刑を言い渡されたも同然であった。

栗駒星 141s

翌日の夕方のことである。
雁の長老が五羽の屈強な者を連れて蘇武のもとを訪れた。暇乞いのためである。雁にとってはそろそろ南の長安に渡る時期となっていたからである。

「閣下」と雁の長老は平伏し,改まって言った。「もはやわれわれが最後の群れでありますゆえ,今後暫くの間は閣下のお役に立ちます者もござりませぬ。いずれまた春になれば帰ってまいりますがそれまでどうぞご機嫌よくお過ごし下さいますように」
蘇武は長安という言葉を聞いて暫く考えて言った。
「おまえが長安に行ったら,陛下の宮殿に行き,蘇武はまだ生きていると伝言をしてくれまいか」

蘇武の五通の帛書(手紙)を橙色の足につけて雁たちは夜明けの空に飛び立っていった。
待ちあぐねた数百羽の群れはゴーッというすさまじい羽音をたてて一度に飛び立った。彼らははじめはてんやわんやのようにみえていたがかき乱された水面が静かになるじぶんにはそれぞれの先達に率いられた沢山の山型の列にわかれ,整整粛粛と前後して中空を南のほうへ渡っていった。
「末代の誉だ」
と一羽の雁が言った。
「これで中郎将様が無事に助かったとなりゃごうぎなもんだぜ」
「十九年たぁどうだい。よく辛抱したもんだなあ。」


金曜朝 290s

雁は七百里を飛んだ。
黄河の流れに沿ってまっすぐ南へ長安の都へと進んだ。
当歳の者にとっては初めて見る都であった。
雁はやくこい

蘇武の帛書を付けた雁は御前をやや遠く離れた地上へ舞い降りて平伏した。由ありげな雁のふるまいに早速お側の者がかけよって仔細をたずね,脛につけた帛書をといて陛下に奉った。

朝靄

陛下は平伏している雁たちをねぎらい,帛書を読んだ。
陛下はご覧になるやはらはらと御落涙あり,お側の者にもお見せになったので誰一人泣かぬ者はなかった。

月に雁

そこで雁たちを御前に召し出されて,蘇武の様子を委しくお尋ねになり,前代未聞の雁の使によって稀なる忠臣の命を助けられたことの褒美に何なりと所望せよとのありがたいお言葉があった。

飛び立ち3

雁の長老はかしこまって答えた。
「今後この禁苑に渡ってくる雁の命をめされぬようお願い申し奉り候」

陛下はすぐに心安く雁の願いを聞き入れた。

雁は爾来末代までも誉をのこしたということです。

追伸
この後二千年を越えて,現在伊豆沼では10万羽を超える雁が毎朝飛び立っています。
自らの節を貫いた蘇武の伝説は彼らの中でまだ語られているのでしょうか。今朝,雁たちに聞いてみます。


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