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振り返る人振り返らない人『まちんと』

海辺に立つ修道士デビット・カスパー・フリードリヒ『海辺に立つ修道士』(部分)1809-10

この絵はロマン主義後期のドイツの画家フリードリヒの作品です。わたしの大好きな画家です。暗い海辺に修道士が立っています。この瞑想的な絵は,見る者を深い海に誘うようです。さて海でも,川でもそこに立つ人はけっして振り返ることのない世界に対峙しています。こちらに背中を向けることで振り返ることを拒否しているようにも思えます。

 先日紹介した天沢退二郎の『《宮沢賢治》のさらなる彼方を求めて』の中に「影法師論」という論考があって,その後半に「振り返る」という語句の使い方の吟味が出てきます。『銀河鉄道の夜』の中で,賢治はどんな意味で登場人物に「振り返る」動作をさせていたのか。「振り返る」ことにはどんな意味があるのかということを詰めていきます。なかなかにおもしろい視点です。叙述の中で,ジョバンニやザネリは振り返るのに,カンバネルラはけっして振り返ることはないというのです。

[ジョバンニが]町かどを曲がるとき,ふりかへって見ましたら,ザネリがやはりふりかへって見てゐいました。そしてカンパネルラもまた,高く口笛を吹いて行ってしまったのでした。


 これらの記述から天沢氏は,「振り返る」行為を次のようにまとめます。

こうして見てくると,ジョバンニが〈ふりかへる〉のは,いずれも,いわば〈喪失〉の確認行為であったことが明らかであり,それはザネリの,二度にわたる〈ふりかへる〉が,やはり,ジョバンニの〈カンバネルラの喪失〉をザネリの眼から確認する行為であったことからも知られるのである。
 そして,カンパネルラは〈ふりかへらない者〉だと。(P62)

 このあとカンバネルラは死んでしまいます。そして,振り返る人-ジョバンニとザネリは生きのびます。

海辺に立つ修道士は海と対峙することで,誰も入っていけない,完全に閉じた世界にいます。実はわたしたちも水辺に佇むとき,誰も入ってはいけない,無時間の世界にいます。閉じられた世界にいる者はけっして〈ふりかへる〉ことはありません。水辺に立つと言うことは,自分では解し得ない現実の脈絡もない筋書きを,水という鏡に他人事のように写し出すためでしょう。カンパネルラが,その追憶という鏡の,「水」に入って死んだことは,帰るべきところに帰らせたという賢治の落ち着くところだったのでしょう。
 生き続けているわたしたちは,これからも〈ふりかへり〉続けるのでしょうか。
詩画展
 雪の花巻に行ってきました。イーハトーブセンターでは,賢治詩画展が開かれていました。今日は長くなったので本の紹介は簡単にします。
今日の本
『まちんと』文 松谷みよ子 絵 司修 偕成社
まちんと (新編・絵本平和のために (1))まちんと (新編・絵本平和のために (1))
(1983/01)
松谷 みよ子

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絵本です。しかし,悲しい絵本です。松谷みよ子の文と司修の絵はよく合います。
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