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新・遠野物語-第71話と隠し念仏-

伊豆沼・長沼 607-2s
キツネ散歩中

遠野物語」は柳田国男が明治43年(1910)出版した本ですが,その話を語ったのが佐々木喜善です。出版当時喜善は25歳でした。
佐々木喜善は,明治19年(1886)の生まれです。かの石川啄木と同い年です。そして宮沢賢治は10歳年下です。啄木も賢治も有名ですが,喜善は意外と知られていないのかもしれません。

わたしが佐々木喜善に興味をもったのはもともと彼が東北岩手の人であったことと遠野物語に興味をもっていたからでした。遠野物語の奇々怪々な話に非常なおもしろさと昔の人の考え方が見え隠れしている原始思考が見えたからでした。つまり中央から描かれた歴史ではなく,社会制度のフィルターを介してでもなく,ありのままのその土地に住んでいた人々の思考,「土俗」に関心をもったからです。

柳田国男の視点からの遠野物語,佐々木喜善からの遠野物語,彼らの書簡と日記を丹念に読む中で彼らの気持ちを浮かび上がらせてみたいと思い,「遠野物語」というカテゴリーを設けたわけです。

伊豆沼・長沼 166-2s
マガン朝の飛び立ち

昨日は,佐々木喜善の日記で「若子と隠し念仏に入る」という一行を読んだ記憶があり,いつの日記かを確かめようとしていました。若子というのは,喜善の娘の名です。つまり娘を隠し念仏に連れて行ったという意味です。わたしはその一行の中の「隠し念仏」という言葉に惹かれたのです。
遠野物語と隠し念仏との関係は密接につながりがあるのではないかと感じています。つまり昔から人は菩提寺に強制的に檀家としてつながれていながら,その土地土地の昔からの風習や神道的な要素,山伏がもたらした文化,仏教的な要素が重層的に,それこそ地層をつくるように重なっているのが信仰に表われていると思っています。
その幾層にも重なった解読しにくい民間信仰を「隠し念仏」という方法は上手に成り立たせてきたと感じています。浄土真宗や曹洞宗という仏教のセクト,早池峰信仰,そして喜善が資格をとった神官としての国家神道,オシラ様,山の神というすべての信仰を成立させる遠野物語。そして「隠し念仏」。

雪降りしきる 012s
月,朝焼けに残る

在家信仰という信仰の形態があります。
本山にも頼らず,住職にも導師にも頼らず,神官にも頼らず,その家々に代々伝わっている信仰の形態です。では遠野では「隠し念仏」は誰が導き,誰が保証を与え権威付けしていたのでしょうか。ずばり口寄せ,つまりイタコだと思います。在家信仰と隠し念仏が結びついた信仰が密かにイタコを拠り所として代々引き継がれてきたとも言えます。遠野には,女だけしか参加できないオシラ遊びがあります。普通に言われる小正月を女正月と言って女だけが集まる行事に似ていますね。女人禁制のフォーマルな組織仏教に比べて,口寄せをするイタコは女性が圧倒的に多いです。つまり集落は檀家制度という中心と隠し念仏という女中心世界の二重円構造で東北の村々は成り立っていたと考えられます。

わたしの子どもの頃まで「講」という寄り合いがありました。この制度は昭和40年代までは全国どこにでもあったのではないでしょうか。祖母に連れられて女だけが集まる寄り合いに何回か行った覚えがあります。当番制で持ち回りの役割でした。その「講」という制度を使って,葬式などの仏教的な行事は菩提寺であくまで行い,地区や血族関係では昔から受け継がれてきた土俗信仰に基づく特殊な行事が密かに行われていたと思うのです。しかし,宗教規制が強かった江戸時代などでは,文書や証拠は一切残さず,「口授」という口だけで低く念仏を上げたり,秘密裏に秘密結社的に行われていたと思うのです。「隠し念仏」は檀家制度というプレッシャーをかけてくる国家から見れば邪教でしょうが,国家とわたくし一族という両面を満足させる自然の方法ではなかったのか。そう思って遠野物語を読むと深く読めます。つまりその土地に営々と息づいてきた効率的な信仰の仕方が「隠し念仏」だと言えるのではないでしょうか。

伊豆沼・長沼 350-2s
慎重なミコアイサ

例えば遠野物語71を引用してみます。
此話をしたる老女は熱心なる念仏者なれど、世の常の念仏者とは様かはり、一種邪宗らしき信仰あり。信者に道を伝ふることはあれども、互に厳重なる秘密を守り、其作法に就きては親にも子にも聊かたりとも知らしめず。又寺とも僧とも少しも関係はなくて、在家の者のみの集りなり。其人の数も多からず。辷石たにえと云ふ婦人などは同じ仲間なり。阿弥陀仏の斎日には、夜中人の静まるを待ちて会合し、隠れたる室にて祈禱す。魔法まじなひを善くする故に、郷党に対して一種の権威あり。

                                                        「遠野物語71」

このことは正に「隠し念仏」の存在があったことを裏付ける記述だと思います。
邪宗とは誰が言ったのでしょうか。喜善ではなく柳田国男だと思います。つまり遠野物語そのものも国家の視点を持つ柳田国男の検閲を受けながらしつらえていった物語集だとも言えるわけです。

佐々木喜善はそんな柳田国男の硬派な姿勢を知って,割愛した話もあると想像できます。
遠野物語,早池峰山,山神,オシラ様。そうしたキーワードをつなげる「かすがい」の役を果たしたのが「隠し念仏」の存在ではなかったでしょうか。大変興味深い部分です。


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