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新遠野物語-オシラサマをめぐって-

遠野 019s
かわいらしい,ネコが入ったえんつこ

遠野物語の続きです。
オシラサマの話です。
今の土淵村には大同と云ふ家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞と云ふ。此人の養母名はおひで、八十を超えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじなひにて蛇を殺し、木に止れまる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらひたり。

昨年の旧暦正月十五日に、此老女の語りしには、昔ある処に貧しき百姓あり。妻は無くて美しき娘あり。又一匹の馬を養ふ。娘此馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、終に馬と夫婦に成れり。或夜父は此事を知りて、其次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬の居らぬより父に尋ねて此事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋りて泣きゐたりしを、父は之を悪みて斧を以て後より馬の首を切り落せしに、忽ち娘は其首にたるまゝ天に昇り去れり。

オシラサマと云ふは此時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にて其神の像を作る。其像三つありき。本にて作りしは山口の大同にあり。之を姉神とす。中にて作りしは山崎の在家権十郎と云ふ人の家に在り。佐々木氏の伯母が縁付きたる家なるが、今は家絶えて神の行方を知らず。末にて作りし妹神の像は今附馬牛村に在りと云へり。
                                「遠野物語69」
そして大同の家にオシラサマが来たことを遠野物語拾遺80ではこう述べています。
山口の大同の家のオシラサマは、元は山崎の作右衛門という人の家から、別れてこの家に来たものであるという。三人の姉妹で、一人は柏崎の長九郎、即ち前に挙げた阿部家に在るものがそれだということである。大同の家にはオクナイ様が古くからあって、毎年正月の十六日には、この二尺ばかりの大師様ともいう木像に、白粉を塗ってあげる習わしであったのが、自然に後に来られたオシラサマにも、そうする様になったといっている。
                                                     「遠野物語拾遺80」
オシラサマとはどんな神様で,オクナイサマとの関係はどうだったのか。馬娘異婚譚,蚕の神様と桑の木としてのオシラサマと起源を探れば探るほど複雑な要素が絡み合って様々な説が出ていてどれが本当なのか分からないわけです。

それをどうにかして分かりたいと思いました。しかし絡み合っている謎を解き明かすことは大変なことです。そこで今日はメモを整理するぐらいですが,書いてみます。

遠野大晦日 514-2s
オシラサマ

この写真を見ると,男の神の方は耳が付いた馬の顔をしています。女の方は娘です。物語の筋に沿ったオシラサマです。しかしオシラサマを調査していくと,男は馬,女は人間の娘だけではないようなのです。

確認されている一番古いオシラサマは米崎町松峰たか氏所有のオシラサマで天正十八年のものだそうです。ちゃんと記銘してあるオシラサマが発見されています。そのオシラサマは男の方が馬ではなくて人間の男の顔をしているのだそうです。そしてその記銘してあるのに「天正十八年庚寅三月吉日 神名 高木取 宥建是書也」とあるそうです。とすると宥建という人がこのオシラサマを神像として祀ったということになります。修験の存在があるのかもしれません。

遠野 119-2-3s
おしら堂のオシラサマ

それじゃ,馬と娘の神様の組み合わせはいつ頃なのかというと,元禄二年(1689)だそうです。初めて男の神様の方が馬で,女の神様の方は人間の娘の形態になったのは元禄二年ということになります。
つまりオシラサマの最初は男も女も人間の形をしていて百年ほど過ぎた元禄年間に初めて馬の形のオシラサマとなったということになります。

遠野大晦日 758-2s
オシラサマと馬信仰,蚕,そして蚕が食べる桑の木の葉はどうも後にオシラサマの縁起に付け足されていった可能性があります。ではどうして馬なのか。南方熊楠が遠野物語を聞いて,中国の「捜神記」の中に馬娘婚姻譚があると指摘したようにオシラサマと馬と蚕が結びついていったのでしょう。そしてオシラ神祭文になっていったのでしょう。

遠野 121-2s

それではオシラサマの形態はいつ頃からこのような形だったのでしょうか。つまり素朴に木を型どり,そして服としての布をかぶせていく形(オセンダク)の起源はと遡って考えていくと,まるで娘が剥がされた馬の皮をかぶるような格好と似ていると考えますが,オシラサマは年々で布をかぶせていくわけです。
実はこの形態の似ているところから喜田貞吉はアイヌの「木幣(イナフ・イナヲ)」が起源ではないかと言っています。そしてそれは御幣束の形がそのままご神体になっていったのではないかと考えたのでした。御幣束というのは神主さんが払え給え,清め給えと詔を述べて左右に振るものですね。
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御幣束

「幣束たるべき性質のものを以て是直ちにご神体なりと誤解」したものがアイヌの「木幣(イナフ・イナヲ)」であり,またその形態からオシラサマの形態に進化していったのではないかと考えるわけです。
栗駒星 030s
「菅江真澄民俗図絵-えぞのてぶり-」から

そこでどの程度形が似ているものかと,菅江真澄の描いたイナヲを見てみました。この絵の川の側に立てられているのが「木幣(イナフ・イナヲ)」です。やっぱり似ていますかね。

遠野大晦日 577s
水を汲むひしゃく

じゃあ,オクナイサマって何。オシラサマとどんな関係があるの。どうして狩の神とオクナイサマが結びついているの。
疑問は次々と湧いてきます。その辺はまた機会を改めて書きます。


長々とお付き合いいただき,ありがとうございました。
興味がない方にとってはこの長い文章は苦痛だったでしょう。ありがとうございました。


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