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新・遠野物語-神隠し その二-

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岬にての物語 -月の出を前に-

さて神隠しの話の2回目です。
以前に遠野物語の話者である佐々木喜善を題材にした「幽霊記」-小説「遠野物語」-を紹介しました。
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(2010/07/07)
長尾 宇迦

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この幽霊記の中の2つ目の短編にある「熱血記」という話から始まります。
「熱血記」は主人公が二十五歳の医師 大條虎介(おおえだこすけ)で,明治26年の春,岩手県の気仙郡今泉村で千島探検隊郡司成忠(ぐんじしげただ)一行を出迎えるところから始まります。この郡司成忠の実弟が幸田露伴という設定です。3年後,二十八歳の虎介は結婚して独立し,世田米村に医師として独立します。
その世田米の浄徳寺で住職の岡本師と話をしていた時,ここで神隠しの話に出会うわけです。
たまたま、半年前に山に駆け込んだ娘がいるという話になった。
山隠しという。
虎介は目を見張った。
山隠しの理由は何かとたずねる。
「狂疾(きょうしつ)じゃ」
「なに。狂疾なら病気じゃ。医者のわたしが治してみせますぞ」
岡本師は手を振った。かまわないでおけというのだ。
「山がくし」があると村の者たちは、その山にむかって、送りこむように鉦(かね)や太鼓をたたく。山の神にすべてをおまかせする。こうしておけば山に駆け込んだ者は、後生安楽であり、再び村に姿を見せることもないそうである。
ここでは神隠しに遭った娘がおり,その娘は気が狂っていて神隠しに遭った。医者である虎介はその娘を助けて治そうというのに住職は構わないでおけと言う。

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岬の展望台

これは神隠しに遭って消えた娘を追うことはやめた方がよいという里の人の暗黙の意志があったと言うことです。つまり神隠しは事情があって山に逃げ込んだ者を里の者も見送ってやることが双方にとって得なのだという意味がはっきりと読み取れます。
明治時代後半になっても江戸時代の身分制度や人畜改帳に記されているように人や家畜,財産,建物,税金に至るまで社会的に厳しく徹底的に管理されていたのです。そしてその共同体から逃げ出す「走り」や家族や隣近所まで団体で逃げ出す「逃散」と言われる類は厳罰が待っていたし,またそうした罪を起こさないよう肝入りや五人組の責任も重くのしかかっていたのです。夜逃げのような罪を犯した者はその村全体や班,まとめ役まで厳罰に処せられていたのでした。

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新年のお迎え

現象的には神隠しは不思議で恐ろしいものですが,大人の事情と考えると,逃げる者も,いなくなった家族の方でも,村でもやむを得ぬこととして葬り去ることが社会制度の厳しさから最善の方法として取られることはあったのではないかと考えられるのです。
では,大條虎介のいた世田米村の神隠しにあった気が狂ったとされた娘はどんな事情があったと言うのでしょうか。

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村の鎮守

虎介は娘が消えた山に入っていくのです。探しに探してある日やっと獣も通らない山奥に人間の姿を見つけたのでした。
「おい。おい。お前さん」
虎介は後ろから声を掛けた。
ふりむいたのは、たしかに、白い顔の女だった。
相手は走り出した。飛ぶような早さだった。
虎介は後を追ったが、たちまち姿を見失ってしまった。
だが、方角をたどっていくと、炭焼き小屋が目の前に現れた。
果たしてやっと虎介は娘に会うことができたのです。そして娘の口から出た理由は
わたしは丹野家の名子の家に生まれた。家は牛名子(うしなご)といわれ,牛を飼っていた。昨年その牛を誤って五頭死なせてしまった。それは父親が病気で働けなくなり,代わりに母と娘が育てていたがうまく育てられなくて牛を病気にしてしまい,分からぬまま牛が死んでしまったと言う。
丹野家ではその代償として娘を質物として扱い,屋敷の手伝いとして取り上げた。しかし,丹野家の息子達が娘を手込めにしようと何回も仕掛けてきた。それがいやで山に入って死のうとした。そして炭焼き小屋の男に救われた。実は炭焼き小屋の男も丹野家の名子で,丹野家の強欲な支配に耐えきれなくて山に逃げたという男だったのである。まるで山椒大夫の世界である。

今は岩手の世田米村は明治維新前は仙台藩領で丹野家は南部藩境山守としての格式だった。丹野家の使用人は名子と呼ばれ厳しく働かされていた。名子は奴隷そのもので,厳寒でも綿入れを着ることを禁じられていた。名子が過失を犯したら手打ちにすることもできた。また質物として売られることもあった。年貢を納められない者は年貢の代わりに自分の子供を丹野家に質草や担保として預けるのである。丹野家は必要に応じて他の家に奉公人としてその子供を売ったりもした。

わたしは江戸時代の記録の中でこの人身売買の契約を見たことがあります。また奉行所が税金の取り立てのために建築の基準を定めた中に名子屋敷の建て方の法令も見たことがあります。

さっきも書きましたが安寿と厨子王のような山椒大夫のような話が現実としてそこここにあったことは十分に推察可能なことです。そして神隠しという現象の中に,山に逃げ込むことで,本人や家族,共同体もうまく両立・維持させることができたならば,家族も大切な我が子が罰せられたり死ぬよりは山奥のどこかで達者に暮らしていてくれと願っても不思議ではありません。


神隠しの3回目は史料から「逃げる」という事実を探ってみます。

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