FC2ブログ

新・遠野物語-神隠しその三-「恐ろしき者」-

灯り祭り 037-2s1
雪の踊り

今年は雪が少ないです。いつもなら恒例の「雪の踊り」を載せていますが,今年はなかなかできません。例えば昨年だと次のような写真になります。
20140209-2s.jpg
昨年2/10の雪の踊り

つまり雪が降ったお祝いにわたしが懐中電灯持ってただ踊るというくだらない趣向で始めただけですけど・・・。


夜遊び 2013-01-15 009-2gs
一昨年1/17の雪の踊り


さて新・遠野物語シリーズの「神隠し」の3回目になります。
神隠しはある日忽然とこの世から姿を消していなくなることです。神隠しの話では,戻ってこないこともありますが,何日かたって,または数か月,数年,数十年経って戻ってくるというパターンもあります。遠野物語の中でも特に知られている「寒戸の婆」は三十年経って戻ってきて,又山に帰り毎年戻ってきたようです。


八 黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ。松崎村の寒戸といふ所の民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎおきたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、ある日親類知音の人々その家に集まりてありし処へ、きはめて老いさらぼひてその女帰り来たれり。いかにして帰ってきたかと問えば、人々に逢いたかりしゆゑ帰りしなり。さらばまた行かんとて、ふたたび跡を留めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、けふはサムトの婆が帰って来そうな日なりといふ。
                                   「遠野物語8」寒戸の婆

法事か命日でしょうか。親類縁者が集まってきていたそこへ三十年経って老いさらぼひた娘が懐かしい人に会いたくて帰って来たというわけです。あと帰ってくるのが遠野物語拾遺の一三五話です。


一三五 青笹村大字中沢の新蔵という家の先祖に、美しい一人の娘があった。ふと神隠しにあって三年ばかり行方が知れなかった。家出の日を命日にして仏供養など営んでいると、ある日ひょっくりと家に還って来た。人々寄り集まって今までどこにいたかと訊くと、私は六角牛山の主のところに嫁に行っていた。あまりに家が恋しいので、夫にそう言って帰って来たが、またやがて戻って行かねばならぬ。私は夫から何事でも思うままになる宝物を貰っているから、今にこの家を富貴にしてやろうと言った。そうしてその家はそれから非常に裕福になったという。その女がどういう風にして再び山へ帰って往ったかは、この話をした人もよくは聴いていなかったようである。
                               「遠野物語拾遺135」


この二話だけが帰って来て,あとの五話は帰って来ません。山に入った木こりや猟師などが偶然会うわけです。そうして恐ろしい者に捕らわれていて逃げ出せないと語るのです。女をさらっていくのは「山男」でしょうか。「天狗」でしょうか。「山姥」でしょうか。話の中からその特徴を拾い出すと

恐ろしい者の特徴
物語NO身体的な特徴どんなことをするか
遠野物語六 並の人間と見ゆ  
 眼の色凄し
子もあまた生みたれど、すべて夫が食ひ尽くして一人このごとく在り
遠野物語七記述なし食ふにや殺すにや、皆何れへか持去りてしまふ
遠野物語拾遺一〇九  山男 記述なし

つまり女達を拘束している恐ろしい者は,「山男」であり,並の人間のようであるが,目の色が違っている。子供を喰らったりどこかに連れて行ってしまう者のようです。この山男の特徴は天狗や山姥等と似たところがあります。ただ「拾遺一三五」は,逆に女によくしてくれる者のようです。

私は六角牛山の主のところに嫁に行っていた。あまりに家が恋しいので、夫にそう言って帰って来たが、またやがて戻って行かねばならぬ。私は夫から何事でも思うままになる宝物を貰っているから、今にこの家を富貴にしてやろうと言った。そうしてその家はそれから非常に裕福になったという。  「遠野物語拾遺135」

このようにさらわれたけれども「山の主」にさらわれて,神隠しにあっても逆に幸せに暮らしている娘もいるのです。
遠野物語の神隠しの特徴を一気に出してくるのが「物語三十一」です。


遠野郷の民家の子女にして、異人にさらはれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり
                                    「遠野物語三十一」


まとめると,恐ろしき者は「異人」でもあると言っています。しかし「神隠しに遭うこと」と「さらわれること」が言葉遣いとして区別されているようですから「神隠しに遭うこと」と「誘拐されること」は違うのかもしれません。
「異人」は「物語九十二」で「丈の高き男」「色は黒く,眼はきらきらして」いると書かれています。背の高いところや眼の特徴は「山男」と似ています。しかし「山の神」も背が高く,顔は赤く,眼が輝いているとされています(物語八十九)。

灯り祭り 004-2s1
撮り比べ 15分露光1枚撮り ISO100

この恐ろしき者の正体は特徴だけから探ると,「山男」であり,「山の神」であり,「異人」であり,「天狗」や「山姥」であるのかもしれません。これは絶対的な他者というイメージから関係づけられているのかもしれません。

灯祭り-2s
撮り比べ 1枚撮りと同じ構図でISO400 30秒ずつ15分撮って比較明合成

わたしは先回の「神隠しその二」で,神隠しとして扱うことで消えた本人や本人の共同体の皆が,法的にも穏便に扱うことが出来る大人の事情があったのではないかと書きました。神隠しが起きた場合,探す人がよく「山にむかって鉦や太鼓を打ち鳴らす」行為があります。それは誘拐していった者(犯人)に警告して聞き入れられたら戻ってくる,戻ってこなかったら死んだんだのだという判断をするための村人の最後の試みと考えられます。しかし,ある意志で山に入っていった者にとっても鉦や太鼓の音は生きてきた現実世界からの死という念仏の意味もあったのでしょう。村人の「元気でな,今度はうまく生きろよ」という最後の見送りを聞いて,山奥深く入り込んで新たな土地で生き直すという人もあったでしょう。



クリックしてね
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト