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赤い誘惑-ヒステリア シベリアカ-

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昨日(2/21)の月齢2.5の月と金と火の接近

「ヒステリア シベリアカ」
訳すとシベリアのヒステリーとなる。

わたしがこの話を知ったのは遠野物語の隠し念仏の話を読んでいた五木寛之の本の中でだった。

佐々木喜善は昭和3年に出た「東北文化研究」創刊号,「オシラ神に就いての小報告」でこう言った。
(一年に一回オシラ遊びの時にオシラサマに)「新しい花染めの赤い布」を着せる
「花染めの赤い布」すてきな色だと思う。
遠野物語に出てくるような昔の家に入ると,家の中は薄暗く,その暗さの中に赤い色は実に映える。赤い色は何か人間の根底を覆すような力を持っている。遠野物語の中でも赤い色が出てくると何かが違っているという約束のようにも思えてくる。マヨイガに出てきた赤い椀,赤い巾着の女,赤い顔の河童,ザシキワラシ,女の赤い抜け毛,山男,翁・・・。みんな赤である。
雪女の赤い櫛が薄暗い風呂桶の湯気の中にゆらりゆらりと浮いている
その赤い色が印象に残ります。

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伊豆沼 朝の赤い時

そして「山の人生」の冒頭の印象的な赤の話を思い出す。
一 山に埋もれたる人生あること

 今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。
で始まる話である。
この話の殺人の場面は真っ赤な夕陽の中で行われる。
小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻りに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧おのを磨といでいた。
おとう、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向あおむけに寝たそうである。
それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。

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遠野卯子酉(うねとり)神社の赤

赤い色にくらくらするのである。そして自分が前後不覚に陥り,何をどうしたのかも分からなくなる。まるで,カミュの「太陽が眩しかったから」である。

さて,「ヒステリア シベリアカ」の話。
訳すとシベリアのヒステリーとなる。
19世紀のロシア,シベリアに住んでいる人間に独特の病気があった。女性が罹るヒステリーではなく男,特に働き盛りの男が罹るヒステリーです。
シベリアの大平原の一角に,ある家族が農業を営んで住んでいる。大概が百姓をしている。見渡す限りの広い耕地を耕して夏の間だけでもかろうじて農業をしている。朝は日の出前から夜はが出るまでひたすら働き続ける。そのように父も生きてきたし母も生きてきた。わたしもそう生きることが当たり前だと思って生きている。都会になど出かけたこともないし興味もなかった。その日も落日まで働き続けて男はふと顔を上げた。シベリアの大地に大きな夕陽がかかっている。なんと大きな赤い夕陽であることか。男はみるみる沈む真っ赤な夕陽を憑かれたように見入ります。
すると突然心の中に不思議な衝動が湧き上がってきて,彼はポッと持っていた鍬を捨てて,夕陽に向かってトコトコと歩き始めた。どんどんどんどん畑を越え,林を越え,草原を越えてひたすら憑かれたように夕陽の方向に歩き続けるのです。どこまで行っても果てがない。やがて行き倒れるのです。またオオカミにでも食べられてしまう。

この不思議な衝動は「山の人生」の冒頭の話と同じように真っ赤な夕陽の中で突然に「くらくらとして」湧き起こってくるものです。

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奥に刺す光

この「ヒステリア シベリアカ」の話は村上春樹の「太陽の南 国境の西」にも出てきます。「太陽の南 国境の西」は1991年頃に書かれたものらしいですが,このように書かれているようです。
「そしてある日、あなたの中で何かが死んでしまうの」
「死ぬって、どんなものが?」
彼女は首を振った。
「わからないわ。何かよ。東の地平線から上がって、中空を通り過ぎて、西の地平線に沈んでいく太陽を毎日毎日繰り返して見ているうちに、あなたの中で何かがぷつんと切れて死んでしまうの。そしてあなたは地面に鋤を放り出し、そのまま何も考えずにずっと西に向けて歩いていくの。太陽の西に向けて。そして憑かれたように何日も何日も飲まず食わずで歩き続けて、そのまま地面に倒れて死んでしまうの。それがヒステリア・シベリアナ」
僕は大地につっぷして死んでいくシベリアの農夫の姿を思い浮かべた。
「太陽の西には一体何があるの?」
この話は五木寛之の話を村上春樹がまねしたとかそんな話でもなく,聞いた人はやっぱり強い印象として残ると思います。

赤に取り憑かれるということ。それも夕陽の沈む中に起こる心の変化。

夕陽の中に阿弥陀如来が現れるという阿弥陀信仰と重ねると,夕陽の沈む瞬間の赤にこそ見失っていたことが見えてくるのかもしれません。


今日の本
五木寛之「漂泊者のこころ」所収「漂泊者の思想」
柳田国男「山の人生」
村上春樹「太陽の南 国境の西」

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