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この頃のこと

内沼 389-2-1ss
ハクチョウの着水

ハクチョウもガンもいなくなった伊豆沼に朝焼けの中,陽が昇っていきました。
しかし,モズ達の鳴き声の奥にヒシクイの鳴き声も聞こえます。最後の旅人達が名残惜しく鳴き交わしながら旅路につくようです。元気で北帰してほしいです。そして,9月にまた会いたいです。

そんな思いでゆっくり沼の周りを歩いていると,残念なことにハクチョウの死骸を見つけてしまいました。他のハクチョウたちの旅立ちについていけず,病気か何かで弱っていたのでしょうか。サンクチュアリーセンターの菅原さんに連絡して引き取ってもらいました。後に簡易検査で「-(マイナス)」と言うことでしたから,鳥インフルが原因ではなかったのですが・・・。
仲間と一緒に飛び立ちたかったろうと思うと哀しくなります。

鮎川 044-2
金華山を間近に感じて鹿の鳴き声を聞く

仕事を終わらせてひょっとしてと思い,あのハクチョウが死んでいた場所に行ってみました。すると沼の中央部に8羽のハクチョウがいて,じっ動かずにこちらを見ていたのです。ひょっとして死んでしまったハクチョウの仲間かもしれません。飛び立たずに死んでしまったハクチョウが戻って来はしまいかと待っているのかもしれません。するととても胸が熱くなりました。わたしは意味もなくハクチョウたちに手を振りました。

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Bluemoon tonight(過去画像から)

リビングのテーブルの上に懐かしい岩波文庫の「みずうみ」が置いてありました。
娘が読むために図書館から借りてきたものでした。懐かしくて久しぶりにページをめくってみました。わたしが読んだのは中学生の頃。きれいな描写でどこか國木田独歩の「武蔵野」やツルゲーネフの「初恋」「あひびき」を思わせる自然の描写が気に入っていた一冊でした。何十年も措いて読むと全然記憶とは違っていましたがやっぱりいいなあと思いました。
「みずうみ」の中で結局ラインハルトとエリーザベトは結ばれなかったのですが,エリーザベトと再会した夜ラインハルトは屋敷のそばのみずうみで一輪の睡蓮をみつけて夜のみずうみに泳ぎ出すシーンがあります。泳ぎながら水面から腕を出すと滴る雫がきらきらと月光にきらめきます。月の光に輝く白い睡蓮の花にもう少しというところで足に水草が絡まり断念します。そして引き返してきます。エリーザベトはもう他の人と結婚しています。届かないところに行ってしまったエリーザベトに近づこうとする試みがこの夜の湖に泳ぎ出すシーンなのです。そして睡蓮(エリーザベト)に近づけなかったことで彼自身も諦めることとなります。決して奪い取ったりはしないのです。最後に彼は自作の詩を朗読する中で自分の気持ちをエリーザベトに伝えるのです。その気持ちをエリーザベトが汲み取れないはずはありません。彼女はずっと泣いていたのです。

ノスリ 012s
雨に思う

人生では,大切な人と結ばれなかった,自分が納得できるように振る舞うことができなかったということが多くあります。人にとってはその失望が重く後の人生にのし掛かることもあるでしょう。そして次のチャンスでまた自分にブレーキを掛けてしまうこともあるでしょう。でもそれも生き方の一つでしょう。何も重く受け止めすぎずまた次のチャンスを待つことも大切でしょう。写真も同じですね。千載一遇のチャンスでも納得した写真が撮れないことが何回もあるものです。待つことも大切なことですね。
「青い鳥」を思い出します。
本当の幸福というものは遠くにあるものではなく,今ここに,自分のすぐ近くにあるものだという解釈になるのでしょう。足が不自由な子どもがチルチルとミチルのただのドバト(土鳩)をほしいほしいと言いいます。あげると目の前で汚いハトがみるみる青い鳥になり,足の不自由な子がその鳥を抱くとなんと足が治ってしまうのです。そして,青い鳥は飛んでいなくなってしまいました。
しかし,この話のポイントは気づいたときにはもう遅かったということと平凡なただの鳥だと思っていたら青い鳥だったという本質を見抜く眼と足の不自由な子がひたすら鳥を待ち望む気持ちや情熱が必要だということは忘れないでね。と受け取ることもできます。
じゃあ「みずうみ」のエリーザベトは,と詮索したくなりますがやめましょう。

ところで最近宮沢賢治に出てくるヘッケル氏のことを見ていたら系統樹で有名ですが種類の違う系統樹の書き方があることを知り,興味深く思いました。まず広く知られているヘッケルの系統樹です。賢治の作品の解説などにもこのような系統樹がよく載っています。
ヘッケルの系統樹
ヘッケルの系統樹図

しかし,これだけではなかったのです。見て下さい。

ヘッケル系統じゅ
ヘッケル系統樹の平面化

これはおもしろいと思いました。つまり様々な系統を平面の地図に組み込ませてつくってあるという点でおもしろいのです。進化を時間経過という視点で書くと最初の系統図になり,分布や拡散という平面での視点で書くと2番目の図になります。

と同時にわたしの頭の中に,ある気づきが生まれました。この頃考えている柳田国男と折口信夫の考え方の違いのことです。まるでヘッケルの最初の系統樹は折口信夫的な思考で,2番目の図は柳田国男的な思考ではないかと思ったのです。そして特に2番目の図と柳田国男が考えていること,つまり稲の文化のルーツから国是としての石高制までを辿り,海上の道に集大成してくる柳田の「稲による天下統一」が図式的にはこのようになると思ったのです。一方,折口信夫の思考はあくまで個人という点からの運動性(メタモルフォーゼ)として,点が変化成長していく図式で描いた方が分かりやすいと思ったわけです。

こんなことをつらつらと思ったこの頃でした。今日は雑感で終わってしまいました。


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