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栗駒山も秋の気配

栗駒山1000m 112s
ワタスゲも終わりに近い

今頃の栗駒山の中腹は春や夏の花が終わりかけ,秋の花が出始めている端境期になるでしょう。
ほんの少しですがキンコウカが咲き始めていました。
栗駒山1000m 023s
ミツガシワはみな実になっています

白花シャクナゲ,ズダヤクシュ,マイヅルソウ,アカモノ,ミツバオウレン,サラサドウダン,イワカガミ,ツマトリソウ,トキソウ,サワラン,カラマツソウ,池塘にはヒツジグサ,茂みにはギンリョウソウ

栗駒山1000m 032s
白さが際立つヒツジグサ


栗駒山1000m 126s
ハルリンドウ 二つ星ですけど花は五つ星
世界谷地 384s世界谷地 368s世界谷地 364s
トキソウ,サワラン。そしてこれはイワカガミの実

西行の全歌約2300首と文庫本の解説に載っていました。それを細々と読み続けています。桜,月・・・。どんなに昔の人の心が花や月や自然と近かったかが分かります。また,詠んでは詠んでは,詠み続ける飽きることのないその心。その一瞬一瞬を詠み続ける執念。
そこでふと気付いたのが「心」です。「心」という言葉がよく出てきます。西行は「心」と詠むことで何を意味していたのか。
言葉面から辿れば,どうやら「心」は身体から自在に離れたりするもので美しいものに吸い込まれていったりするもののようです。
心が自分に戻ってくるか心配だとも言っています。これは魂と読みかえてもいいのかもしれません。当時から魂はくっついたり離れたりするものという考え方がはっきりとあったと思われます。


天中を行き経る遊離した魂,神が降らせた魂が人体の中府に降りて触れた魂を殖やし整えるということである。
こうして殖え整えられた魂が活動する力をもち、その余韻が威勢をもって外に放たれるのであり,「触(フル)」「威(フユ)」「振」は神を識り、聡く明るく身体剛健、寿命長遠の神術であると説いている。

                                       「折口信夫の霊魂論覚書」小川直之 から

魂は,降り注ぎ,人はそれを受け止め,その魂を慈しみ育てて増やし,やがて離れる運動を繰り返しているということです。人の生死はこの運動で成り立っているということになります。

今日の本
「西行全歌集」岩波文庫
「新古典文学大系46-中世和歌集 鎌倉編-」から『山家心中集』
「西行」高橋英夫 岩波新書


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