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遠野物語-不思議な呪文-

穂高2-1s
涸沢,テントサイトの夜

本当に久しぶりに遠野物語の話を書きます。
以前3/31の記事で次のように書いて終わりました。
さて遠野では人が亡くなって寺で葬式を済ませた後,地区に戻ってきてからまた地区の人たちだけでお念仏を唱えるといいます。これを「座敷念仏」と言ってきました。実はこの座敷念仏のお経に聞き慣れない経文が混じっていたのです。
その話はまた後にします。
3/31の記事は こちら

座敷念仏の中にある聞き慣れないお経に気付いた内藤正敏氏は,「遠野物語の原風景」(2010)という本の中の「不思議な真言念仏と中世の宗教空間」という章でこの不思議な呪文に考察を加えています。その呪文が

「阿字十方三世仏 弥字一切諸菩薩 陀字八方諸聖経 皆量阿弥陀仏」
そもそも,このお経が一体どこから来たものなのか,そしてどのように伝えられてきたたのか。
 あらゆる宗派の僧達に聞いても分からないと言うのです。そうなのです。宗派の僧を通して伝えられていたお経ではなかったのです。内藤氏はある日「大日本続蔵経」の中で偶然にそのお経の出所が「仏説阿弥陀仏根本秘密神呪経」だとつきとめたのです。内藤氏はこの経の長年の謎に終止符を打ったわけです。すごい発見です。

しかし,出典が明らかになったとしても次の謎が残ります。
なぜ何のために,誰が,このお経を遠野の人々に語り伝えたのかという謎です。
「真言」と「阿弥陀信仰」と「宗派に属さない,つまり聖」によって伝えられたお経というキーワードがそろいます。

私はこの謎にいたく興味を持ちました。
なぜなら「阿字十方三世仏 弥字一切諸菩薩 陀字八方諸聖経 皆量阿弥陀仏」という経文は特に東国にぽつぽつと板碑や同じ座敷念仏として現在でも伝えられていたからです。岩手に,宮城に,群馬や埼玉にこの経文が見つかっています。一番遡った石碑が群馬県玉村町下新田の弘長二年(1262)から明徳二年(1392)の宮城県河北町大森建立寺の石碑まで,現在まで9基まで見つかっていると竹田賢正氏は「板碑偈文「阿字十方」の伝承系譜について」(「山形県地域史研究」14,1989 )で書いています。そして竹田氏のいた山形県村山地方にもこの経文が伝えられていたのです。
このように限定されたところに残っている特殊な「阿字十方」のお経は一体誰が伝えたのでしょうか。宗派僧ではありません。竹田氏は日蓮宗に転宗した高野聖と予想しているようです。

穂高の朝
穂高の朝

そこで宮城県の六基の板碑に刻まれた1276年から1392年までで,宮城や岩手で伝える可能性のある有名な人を拾ってみることにしました。
まず親鸞の高弟「是信」です。彼は和賀住になっています。可能性は大です。
また1280年には北上にある祖父の墓を訪ねて「一遍」も来ています。踊り念仏時宗です。また日蓮宗「日目(にちもく)上人」の父も登米市出身です。

どうしてか,この時期に有名な聖がたくさん陸奥に来ています。
他にも廻国聖,念仏聖,六十六部衆と沢山の聖が遊行していたと考えられます。
「阿字十方三世仏 弥字一切諸菩薩 陀字八方諸聖経 皆量阿弥陀仏」に秘められた不思議は解けることがありません。
しかし魅力的な問いです。実は「御伽草子」の中にも必殺の呪文としてこのお経が出てきます。

誰が何のために,この阿字十方の経文を広めたのか。そして北の果ての遠野に確かに700年以上を超えて残っている事実は驚きです。
是信が死んだとされる10/14に十月仏やマイリノホトケと称して行事が残っていることから考えて,遠野の人々の懐の広さと信仰の「保存力」とはものすごいと思います。
尚,この調査は続いています。



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