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遠野物語-不思議な呪文-その3

星 017ss
ヒマワリ畑の天の川

今日は遠野の小友地区の「座敷念仏」の中に残っていた「阿字十方三世仏 弥字一切諸菩薩 陀字八方諸聖経 皆量阿弥陀仏」というお経の謎を追っての三回目ということになります。不思議なのはこのお経がどの宗派にも伝わっていないという事実でした。阿弥陀仏ですから浄土宗や浄土真宗の僧は知っていると思っていたら誰も知らなかった。では,このお経が一体誰によって遠野の人々にもたらされ,定着していったのかという謎が残るわけです。

 それに内藤正敏氏が気付いて,「遠野物語の原風景」(2010)の中の「不思議な真言念仏と中世の宗教空間」という章でこの呪文に考察を加えています。そして内藤氏はついに「大日本続蔵経」の中の「仏説阿弥陀仏根本秘密神呪経」と遠野の「座敷念仏」と殆ど一致していることを突き止めたのです。

 昨日の記事では「阿字十方三世仏 弥字一切諸菩薩 陀字八方諸聖経 皆量阿弥陀仏」と遠野に伝えられていたのですが,原典の「仏説阿弥陀仏根本秘密神呪経」では最後の4行目が「皆量阿弥陀仏」ではなく「三字之中是具足」であり,どうしてこの違いが出てきたのか,という点について考えを書きました。
 結局は,聖(ひじり)が布教の過程で教典の内容を分かりやすく伝える「唱導指導」という手法で,より簡潔な形で「三字之中是具足」というよりも「皆,是(こ)れ阿弥陀仏」とはっきり唱えた方がよいという考えがバリエーションを生むきっかけになったのではないか,そしてこのお経自体の構造も「字解き」「絵解き」という唱導指導の形態を備えていたとも予想できます。

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ひまわり畑

そこで今日の三回目ですが,中世の石碑にはどう書いてあったかを出してみて,お経自体のバリエーションがもっとあるのか,あるとしたら布教の際の聖達の宗派の違いや地域偏差もあるのかということを確かめてみましょう。
まず,「阿字十方・・」のお経が書かれた板碑を拾い出した記録を竹田賢正「板碑偈文「阿字十方」の伝承系譜について」(『山形県地域史研究』14 1989)から引用します。ちなみにこれらの板碑は殆どが先祖の供養のために,または生きている間に善徳を積んだ印として(生きている間の功徳としては「逆修」と言われています)立てられている石碑が殆どです。

東北地方の「阿字十方」の板碑
 種字  年号      西暦   偈文 所在地
弥陀三尊建治二年1276十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸聖経 皆是阿弥陀宮城県矢本町大塩
弥陀建治三年1277十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸正教 皆是阿弥陀宮城県南方町東郷新田
衿伽羅童子元享三年1323十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸聖教 皆是阿弥陀宮城県仙台市経ヶ峯
勢至貞治二年1363十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸聖経 皆是阿弥陀宮城県石巻市高木観音
(不明)至徳□年138□十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸聖経 皆是阿弥陀宮城県南方町本郷天沼
弥陀明徳三年1392十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸聖経 皆是阿弥陀宮城県河北町大森建立寺
観音(不明)十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸聖経 皆是阿弥陀青森県深浦町北金ヶ沢

宮城県の石巻,登米が多いのです。不思議です。
このほかに他の地方では下のように記録されています。
 種字  年号      西暦   偈文 所在地
弥陀弘長二年1262十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸聖経 皆是阿弥陀群馬県玉村町下新田
弥陀三尊文永五年1268十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸正教 皆是阿弥陀群馬県伊勢崎市宮子町
弥陀弘安十年1287十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸聖教 皆是阿弥陀埼玉県伊奈町小針内宿


板碑関係では時代や地域によって変異があるわけではないようです。
むしろ間違いなく「 十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸聖経 皆是阿弥陀」 と刻まれている傾向にあるようです。
どうして阿字や弥字,陀字が省略されているのでしょうか。これは冒頭の二文字を省略しても同じ効力があるとしています。いやむしろ口承によって伝えられた経は阿字,弥字,陀字という文字を敢えて隠すことによってその法力が発現するという考えもあったと思われます。口伝による手法の奥義なのでしょう。

ひまわりの丘 041s
ひまわりの丘

竹田氏のいた山形県村山地方切畑地区に残るこのお経も同じだそうです。
出てきた石巻市高木観音堂にある1401年の表とは違う年代の刻字を見てみましょう。この石碑には阿字,弥字,陀字が省略せず刻まれています。

阿字十方画像
かすかに「弥字一切諸菩薩」と読めませんか。

そして宮城の石巻,登米にどうしてこれだけ集中しているのかも気になります。
誰がこの「阿字十方三世仏」伝えたのでしょう。こちらはとても大きな影響を受けた土地ということになります。遠野と宮城は深くつながっている可能性があります。そして板碑の場所をプロットしてみるとやはり北上川が浮かび上がります。北上川沿いの船の往き来がそのまま板碑や文化の伝播に重なっています。

では本当に一体誰がこの不思議な呪文を遠いこちらの陸奥の国に伝えたのでしょうか。

穂高 1822-2s
深い森

推測の域はでませんが,次の可能性を考えてみました。
ただ1270年代という最も早い時期の「阿字十方三世仏」板碑群とどうしてもずれが生じます。
1 是信
2 一遍
3 その他の高野聖

DSC_0249-s.jpg
ハスの花咲く

次回はその周辺を探ってみたいと思います。


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コメント

Re: ありがとうございました

> 10月25日に行ってきましたが、東京を0時に出て伊豆沼に着いたのが6時半。すっかり夜も明けて一斉に飛び立つ光景には出会えませんでしたが、朽ちた蓮達を見られたので良かったです。

そうでしたか。ご苦労様でした。やっぱり東京は遠いんですね。憧れの景色に巡り会ったでしょうか。
機会があればご連絡下さい。案内します。

ありがとうございました

こんにちは。
色々な情報をありがとうございました。
10月25日に行ってきましたが、東京を0時に出て伊豆沼に着いたのが6時半。すっかり夜も明けて一斉に飛び立つ光景には出会えませんでしたが、朽ちた蓮達を見られたので良かったです。
また、来年、咲いてる時期と枯れてる時期に行ってみます。

初めまして

初めまして。
突然、コメントしてしまって
すみません。

8月に伊豆沼の写真を撮りに行って来ました。
壮大で飲み込まれそうな風景に
生命力を感じ魅了されました。
で、枯れた蓮沼を撮りたいと思って
写真を探していたら貴様の素敵な写真に出会いました。
僕は、東京に居ていつ頃にあの風景に出会えるのか解らないのですが、
差し支えなければ教えて頂けたらと思ってコメントさせて頂きました。

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