FC2ブログ

西行こぼれ話その三-西行伝説-

2014625s.jpg
ホタル北天の記録

拝啓
菅原さんお元気ですか。
朝晩めっきり涼しくなりましたね。
さて,この西行についての返事も三回目になりました。
まとまりもなく読みづらくなっています。お許し下さい。
今日は西行の伝説についてです。
                                                               匆々
                                                                     nitta245より
極楽寺跡にあった「陸奥のかど岡山のほととぎす稲瀬のわたしかけてなくらむ」は西行作と言われていましたが,実は西行の歌ではありませんでした。でも地元では800年以上も西行の歌と伝えられています。実は青森の岩木山について詠んだ歌があって「ふしみてもふじとやいはむみちのくの岩城の山の雪のあけぼの」も西行作と言われているところがあります。ですから,西行は青森に来たのだということになるのでしょう。しかしこの歌も岩波文庫の「西行全歌集」の2300余りの歌を見ても見つからないのです。そして青森にきたという他の記録も見つかりません。しかしだからといって西行は外の浜に行かなかったとも断定はできないのです。

実は西行が来た,来なかったに関わらず西行についての伝承が全国に数多くあるのです。私が住んでいる宮城にも松島という日本三景がありますが,西行戻りの松と言われている場所があります。西行が松島に来て『月にそふ 桂男(かつらおとこ)のかよひ来て すすきはらむは誰(た)が子なるらん』 と詠みました。
すると農作業の途中だったのか男の子が出てきて,『雨もふり霞もかかり霧もふりて はらむすすきは誰れが子なるらん』 と詠んだのです。西行はその歌の返しの巧みさに驚いて,そなたは何をしているかと尋ねると,男の子は「冬萌(ほ)きて夏枯れ草 を刈っている」と答えたのです。
「冬萌(ほ)きて夏枯れ草」とは何のことを言っているんでしょう。子どもが西行に謎かけをしているんですね。同じ話が宮城県遠田郡箟岳のの岳福島県いわき市,山形の米沢市に栃木県日光市にあるのです。西行は「冬萌(ほ)きて夏枯れ草」が何のことか分からず全国津々浦々で謎かけをされて閉口して引き返すわけです。ですから「西行戻りの松」と言われます。
実際,「冬萌(ほ)きて夏枯れ草 」とは何のことだと思いますか。私は「麦」ではないかと思ったのですが・・・。麦は寒い冬に青々として夏に収穫の時期を迎えるからです。
西行戻りの松だけではありません。西行戻しの涙坂(米沢),西行戻り石(日光市),西行戻しの石(箟岳)とまだまだあります。
青森の弘前にもこんな話が残っています。西行が「磯辺のわらはどハマ馴れてオキ来る波の数覚えたか」と童(わらべ)に聞くとその童がすかさず「西行は宿がなければ野に寝たり空出るの数覚えたか」と返すわけです。西行は子どもにしてやられるわけです。

このように西行をぎゃふんと言わせる伝承がいっぱいあるのです。びっくりした西行がしっぽを巻いて逃げていく話,西行戻りの話など西行の名を借りた多彩な楽しい話が全国にあるのです。しかし,なぜそんなにも西行の伝承が多いのでしょうか。あまりにもそうした西行の名に関わった地名や逸話が多いので,柳田国男は「西行橋」という論考も残しています。
最近おもしろく読んだ野岳義「菅江真澄の採集した西行伝承」という論文にはこのような西行にまつわる話が58個も載っています。これは菅江真澄の文章に出てきた数だけですから,実際はその他にも数限りなくあることでしょう。
西行の時代から800年以上も経っているというのに西行の姿は全国に親しい存在として残っているのです。

賢治さんは出かけています
賢治さんは出かけています(花巻の羅須地人協会)

私はこのような話は,義経伝説と似たところがあると思っています。尊い者が苦労を重ねて遍歴の旅に出るという物語の枠です。簡単に言えば「山椒大夫」の話です。身分の貴い者が謂われのない嫌疑にかかり流され,艱難辛苦に押しつぶされ彷徨い歩くことになる。そして苦労の果てに・・・。というような物語の型を確か『貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)』と言ったと思います。義経がまさにそうでした。頼朝の嫉妬を受け,やがては追い詰められ,逃げることになる。そして平泉で討たれる。
 西行もそうしたヒーローだったと思います。


にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
関連記事